鯨を飲む

くうねるところ のむところ

大掃除をしている

去年、思い入れなどによって何となく捨てるには至らなかったものたちを一掃した。今年になってようやく、キリがないということに気がついたからだ。かつての私がうまく受け取ることが出来なかったものたちについて少し考える。愛情だとか、親愛だとか。そういったものたちを様々な理由から受け取ることが難しくなってしまったときのこと。うまく続けることができなかったものたちについて。かつての自分の拙さの象徴のようなものたち。

それでも人は歳を重ねていく。かつての私と今の私は間違いなく地続きであるが、まったく同じ存在ではない。変わっていく、移ろいでいく。人も街も、テレビで流れる音楽も何もかも。

 

掃除は好きだ。軽くなる。そういうことを昨年もここに書いたように思う。

 

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もうすっかり年末だ。部屋の片付けはまだ終わらない。こうなったら気合いを入れてとことんだ、と意気込みながら部屋を漁る。

夢のようなおやつ

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日曜日の朝、頂き物の夢の里 やながわの和モンブランを食べた。控えめな甘さが夢のようなおいしさで、こういうお菓子のことが好きだとしみじみと思う。

日の丸弁当のような見た目をしており、箱一面に敷かれた生地の真ん中に、丹波栗の渋皮煮がひとつ鎮座している。控えめで、上品で、味わい深く、舌触りのきめ細かな様にうっとりしながらお茶を飲んで仕事をした。

 

おいしいもの忘備録(室蘭・函館編)

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9月下旬。3泊4日で室蘭→函館を訪れていた。かれこれ5回目の北海道だったわけだが、今回もおいしいものと巡り会う機会に恵まれたので、記憶に残っているおいしいものたちを選出してみたくなった。未だに北海道のごはんたちが恋しくて仕方がないので、切なそうにしている胃を慰めながら書いてゆく。いつかの私が再びおなかいっぱいになるためにも。ちなみに何を食べても本当においしかったのだがそれだとキリがないので、特に印象的だったものを中心に纏めることとする。

 

◾︎ 揚げたてポテトチップス アスパラベーコン味(千歳空港店限定)/ カルビープラス新千歳空港

f:id:kurolabeloishii:20241103221129j:image私が新千歳空港で食べる定番と言えば、かま栄のパンロールだとか、一幻のえび味噌ラーメン(この世で最も好きな味のラーメン)だったりする。お土産の定番は佐藤水産の鮭ルイベ漬け。心から愛してやまない食べものたち。とは言え今回はなるべくいつもと違うものを食べたいと思っていた。空港に降り立った途端、尋常ではないほどの空腹に見舞われてしまい、若干引きながらも友達に何かおすすめのおやつはあるかと連絡したところ、「きのとやのチーズタルト」と即答されたので向かったは良いが、待ち時間が確実に30分は超えるであろう行列だったため引き返した。代わりに何だかんだ行ったことがなかったカルビーに向かった。お腹がぺこぺこだったので全然働いていない頭で「とりあえず限定と書いてあるし……」という理由だけで味を選んだ。 カルビープラスは凄い。手が汚れないように親指と人差し指用のビニール指袋が存在する。持ち歩くための紙袋とビニール袋まである。完璧すぎる。

おいしい。とにかく本当においしい。溜め息が出る。友達からも「暫くこれのことしか考えられなくなる」と言われていたが、全くもって同意見だ。今後食べるポテトチップスは全部これが良い。塩味がしっかりしていてスパイシーで、温かくてさくさく。匂い自体はかなりアスパラ感が強いので一瞬「味が強すぎたらどうしよう……」と不安になったが、アスパラベーコンの風味がしっかりしつつも全然くどくない。ビールも買うんだったとかなり悔いた。(きのとやチャレンジ失敗によりかなり時間がカツカツだったため、購入できず……。)北海道バター味も俄然気になるので次回に期待。多分両方を交互に食べるのが一番おいしい。

 

◾︎ 安政浪漫 / 二世古酒造

二世古酒造 | 安政浪漫

ここ最近飲んだ日本酒の中でもトップクラスに好きだった。食事を楽しみながら酒を嗜むのであればこれ以上に適したものもそうあるまい。良い意味で主張が控えめで、すっとした米の甘さがただただおいしい。舌触りが柔らかでするする飲めてしまう。なんて美しい飲み物なんだろう。取り寄せるか真剣に考えている。物凄く好みだった。

 

◾︎豊浦すいーといちごわいん / はこだてわいん

豊浦スイートいちごわいん720ml

苺のワイン……?気になる!となって飲んだところ、驚くくらい気に入ってしまい、そして翌日の午前中に人生初の二日酔いに見舞われることになる。それくらいおいしい。特に苺系の酒は甘いイメージが強くて寧ろやや苦手なのだが、このワインは甘いは甘いが、妙にすっきりとしていて後口が良く飲みやすい。おいしい。液体として好き。香りも良い。お土産にも買って帰った。

 

◾︎塩さばおにぎり / セイコマート(ホットシェフ)

二日酔いだったので写真がない。けど、二日酔いながらも二回にわけて食べ切ったくらいにおいしい。そもそも私はかなり鯖が好きだ。新幹線の中できずし(しめ鯖)を食べるくらいには好きだ。ふっくらとしたおにぎりは結構大きめで、如何にも人の手で結んだような形をしている。米粒が潰れておらず、食むと口当たりが柔らかい。じゅんわりとした鯖の油が最高においしい。フレーク状に解した鯖は身がしっかりとしていて、近所にセイコマがあったら絶対毎回買っていたと思う。というかあの鯖フレークを単体でも販売して欲しい。

 

◾︎生ハム / La Concha

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魚介が好きなので魚介を食べたがっていたら「海鮮が豊富だしスペイン料理はどう?」という思わぬ変化球を受けた。地元の食材を使ったバルで、特に道南の豚と海塩だけで作られた生ハムが兎にも角にも絶品。塩味と濃い旨味が絶妙で、一口食べるたびに毎回驚きがある。しょっぱいところと旨いところがひたすら交互にやって来る。ずっと口の中に入れていたいくらいおいしくて、何より舌触りが滑らか。お土産として売って欲しい。この先食べる生ハムはこれが良い。今でも味が忘れられず、思い出すたび舌がきゅっとする。他にもパエリヤ(スペイン式五目ご飯、と公式HPにあるようにどちらかと言えば薄味で、魚介の出汁がふんだんに使われている)や各種ピンチョス、スペイン風コロッケなども食べたがどれもおいしかった。また行きたい。

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◾︎アロッソコンレッチェ / La Concha

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ついぞ名前を覚えることはなかったデザート。名前を見ただけでは一体何なのかまるでわからなかったが、頼んでみた。初めて目にする文字列すぎて嬉しい。仄かに感じるスペインや中南米でよく食べられている、米を牛乳で煮たデザートなのだと店員の方が教えてくださった。 お粥感は全くない。舌触りとしては滑らかでクリーミー……プリンというよりはパンナコッタに近かった気がする。しっかりと効いたシナモンの風味と、確かに感じる米の気配。終始不思議で普段なかなか口にしない味わいだったが、ワインと食事によって満たされた胃にはちょうど良いデザートだった。

 

◾︎しまほっけ / えびす食堂

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北海道に行ったら兎に角絶対にしまほっけを食べてくれ!!!!!!!!しまほっけがおすすめ。

小さな海鮮丼(蟹、ウニ、ホタテ)と一緒に焼きたてのしまほっけも注文した。海鮮丼も生臭さが全く無く、おいしすぎるのだが、何よりもほっけが本ッッッ当においしすぎる。この先食べるほっけは絶対に絶対に全部これが良い。いくら北海道とは言え、こうまで味が濃いものか……。風味と脂のバランスが最高すぎるのと、身がふわっふわ。柔らかすぎる。とろとろ。全てが黄金比率の食べもの。地元の百貨店で買うほっけだってとてもおいしいのに、それを容易く軽やかに超えてくる。あと身が大きい!友達と半分こしても充分な満足感がある。ただ、おいしすぎるので一人でもまるまる一匹分をぺろりと平らげてしまえるだろう。 一口食べた瞬間、サッポロクラシックを注文した。朝8時半から飲むビールは最高。缶ビールではサッポロ黒ラベルが一番好きな私なのだが、サツクラも大好き。

 

◾︎海鮮丼 / さわ7

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今回の旅において思い入れ深いお店。雰囲気もこじんまりとしていながらも活気があって好き。ひとりで呑んでいたら全然知らない地元のおじさんが蟹を分けてくれたりした。最終的に盛り上がり、店主も交えてひたすら話をしていた。良い夜だった。

街灯の少なすぎる道を進んでいくとふいに現れる店だった。辺りが静かすぎるほど静かだった。お得にボリューミーな海鮮丼を食べられるという前情報があったので頼もうとしたところ、「ハーフサイズもありますよ」とお店の方が親切に教えてくださったのでそちらを注文。ハーフサイズでもこの溢れようである。魚の全てが全く生臭さがなく、脂がしっかり乗っていて何を食べてもおいしかった。北海道で食べる雲丹はどこまでも本当においしい。鮭ルイベもあったので当然食べた。お店で食べるのは初めてだったが、想像よりもしゃりしゃりとして冷たくておいしかった。

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 ◾︎ブレンドコーヒー / 十字屋珈琲 函館駅二朝市店

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朝市を練り歩いているときに偶然見かけたので立ち寄った。というか吸い寄せられていた。だって周りが海鮮一色な中、急にカウンター席が現れて珈琲屋の看板を掲げていたら気になりすぎる。店主曰く、函館で最も古い珈琲屋なのだという。

美鈴珈琲がソフトな口当たりなのに対して、こちらはよりしっかりした味わいだった。ロケーションと穏やかなマスターの語り口調も相まってすっかり虜に。創業以来変わっていない看板のイラストつきのマグカップがとてもかわいい。単純な味の好みでいうと十字屋だけど、天気のよい屋外でベンチに座ったり歩きながらアイス珈琲を飲むときには美鈴珈琲の軽やかさも良くって……。結局どちらも好き。


◾︎トラピストクッキー / トラピスト修道院

目の前で丁寧に淹れられたオリジナルブレンドと、お茶請けとして用意されていたトラピストクッキーを頼んだ。この組み合わせがとにかく相性抜群だったので強くオススメしたい。素朴で優しい味わいのトラピストクッキーに心を奪われたため、お土産として購入しては人に会うたびに配り歩いていたが、そのたびに「ぜひ珈琲と一緒に!」と伝えていた。ずっと食べたい味がする。こういうクッキーが結局一番好き。


◾︎霜だたみ / 六花亭

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今回の旅での甘味部門堂々の第一位である。オモコロチャンネルの六花亭回にて絶賛されていたので、五稜郭店を訪れた際に購入した。全てがパーフェクトな食べものすぎる。それくらいおいしすぎて度肝を抜かれた。六花亭の商品を全て食べたわけではないが、恐らく六花亭の中で一番好きだと思う。というか数ある銘菓の中でもトップに君臨した。モカホワイトチョコのクリームが挟まったパイのさくっ……とした歯ごたえ。霜の積もった道を歩くときに似た、軽やかながらも中身の詰まったあの感じ。甘さは控えめながらもカプチーノの粉感を感じさせる味わい。何もかもがちょうど良い。本当においしすぎる。絶対にお土産で買った方がいい。六花亭の「ちょうど良さ」は芸術だと思っている。今までは「言うてもホットケーキでしょう?そんなに変わらないよ」と思っていたが、もしかして六花亭(実店舗)で食べることができるホットケーキって物凄くおいしいのでは……?と思い至ったので絶対に食べる。


◾︎六花のつゆ / 六花亭

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この手の華やかでうつくしい見目の菓子に対して憧れているが、その度に惨敗してきた人生である。糖度に対する耐性が低めなのだ。背の高い煌びやかなパフェに喜び勇むも、1/3を過ぎた辺りから露骨にスプーンの進みが悪くなったりする。そんな私が怯えながら口にしたわけだが、おいしい。ちょっと感動してしまったくらい食べやすい。六花亭の甘さはいつも上品でありがたい。(とは言えマルセイバターサンドはヘビー級だと思う。マルセイはずっしりして豪華絢爛。)何より口に入れたときの「くしゅ」と崩れる食感と来たら!砂糖でコーティングされたお酒が舌いっぱいに広がる様と来たら!個人的にはハスカップ味とコアントローが一押しで、特にハスカップが本当においしい。全部ハスカップ味のつゆが欲しい。それくらい本当においしい。おおきいサイズがあるのも嬉しいが、小さな缶を持ち歩いたり小物入れにするのも良い。


◾︎カズチー / 井原水産

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今回、「絶対にこれは持って帰って!」と道民の友達が名指しした唯一の商品。白ワインと合わせるために持ち帰った。個包装なのが嬉しいが、開封後3日以内に食べきらないといけない。(と、パッケージに注意書きがされている。)でも全然食べ切れる。余裕で消える。数の子が苦手なひとでも食べられるくらいチーズがしっかりとしている。数の子のぷちぷちとした食感が楽しい。チーズが濃い。おいしい。白ワインに合う。酒好きはとりあえず買ったら良いと思う。食感が楽しい食べものが好きだから嬉しい出会いだった。

 

◾︎毛蟹 / 朝市にて購入

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思い出を作ろう!と意気込んで人生で初めて自分のために蟹を買った。届いた蟹を自らで捌き、もくもくと食べた日の豊かさと楽しさよ。身は勿論おいしいのだが、蟹味噌の味に衝撃を受けた。グラタンのようなクリーミーさ。と言うかもはやグラタンだったと思う。蟹味噌と言うのはある種、エグ味だとか苦味、磯臭さを楽しむものだとばかり思っていたというのに、驚くくらい。全く磯臭くない。エグ味も苦味もない。本当に全くない。ふわふわした柔らかな口当たりと濃厚なコクだけが広がっていく。今までの常識が覆るような不思議な心地でいた。身もおいしい。だけど蟹味噌がおいしすぎる。

 

 

他にもたくさんのおいしいものを食べた。友人夫婦がせっせと焼いてくれた室蘭焼き鳥(鳥と言いながらも甘辛いタレと豚肉を使った室蘭の串焼き料理である)がおいしくて、いつになくおかわりをしてしまった。その時に出してくれたいくらと白米が1:1の割合のいくら丼もおいしかった。すごい量のいくらだった。鹿肉のジャーキーも変わらずにおいしい。この家で食べる鹿肉は本当に柔らかく、臭みが全くないのだ。他にも、アボカドと海老をあえた、僅かにレモン風味のもの。何回でも食べたいと強く訴えたのち、レシピをせがんだところ、先日レシピが届いた。近々作る。よく晴れて暑いくらいの函館の街で飲んだ、透き通るようなオレンジ色をしたアイスティー。細かく砕かれた氷がグラスの中で浮いている様にときめきながら見惚れていたこと。

本当によく食べた旅だった。その上で、寧ろ痩せて帰って来たのだから北海道という土地は広大なことこの上ない。よく食べ、よく飲み、よく笑い、よく歩き回った秋の旅。

歌を聴く

米津玄師の新曲『がらくた』を聴いた。

聴いた瞬間、胸に何かが灯る気配がした。何かが落っこちて震えるような心地がした。フルで聴き終えた直後、呼吸を置くことなく私の指は再生ボタンを押していた。

房からもいだ小粒のぶどうを食べながら、繰り返し繰り返し、繰り返し曲を聴いた。今も聴いている。彼の歌の中でひょっとすると一番すきかもしれないと思わざるを得なかった。どうしてこんなにも切実で、苦しくなるほど必死な歌を作ってしまえるのだろう。優しくて明るい曲だ。だからこそ必死さが引き立つ。こんなにも意志が込められている。微笑みの中にあるつよい眼差し。誰のこともひとりきりにはさせないのだと、させるもんかと彼は歌う。堪らないくらいの愛だ。寄り添いだ。こんなにも優しい歌があるのだと、ただただうれしい。愛するということは決意だよと思う。

 

赦しの歌だ。施しの歌だ。生きている人間の歌だなあ、と私はどこまでもうれしい。優しく光る、うつくしい歌だ。

 

120分

8時半頃にベッドから抜け出し、グラス1杯分の麦茶と1本のバナナを20分くらいかけて摂る。身体が覚醒し始めたら掃除機をかけながら家中をめぐる。日焼け止めと軽い化粧を済ませ、スーパーで合挽き肉を買い、タコライスを作って振る舞った。何処に出しても恥ずかしくない味だ、と言うので気分が良かった。ニンニクとカレー粉を使った、夏に相応しい食べものだ。

正午になると本屋へ向かう。何かを買おうとしたものの、視界が妙に狭い心地がして、膨大な量の書籍を前に立ち尽くすことしかできずにいた。何だか身体も重だるい。私は時々この手の困惑に見舞われる。大抵はスーパーにいるときで、自分が今なにが食べたいのかがまるでわからなくなってしまう。調子が良くないときの指標のひとつで、 食料品がぎゅうぎゅうに詰まった背の高い棚を前に為す術なく圧倒される羽目になる。ようは多すぎる選択肢を自力で捌くことができなくなる。案の定、脳には強い圧迫感があり、目が滑ってろくに書棚を見ることができなかった。書店にさえ来れば元気になる人間だと自負していただけに空虚だった。とは言えそうなってしまったのなら仕方がない。言い聞かせながら当初の目的地であるコメダ珈琲へと向かった。

平日の昼下がりにも関わらず店内はそこそこ賑わっていた。注文を済ませ、昨日届いた フェルディナント・フォン・シーラッハの『犯罪』を読み進めた。混雑時の滞在は120分までだからその間、心置きなく目の前の本となみなみと注がれたアイス珈琲に集中することができる。集中できるだろうか、と一瞬過ぎった不安は容易く振りほどかれた。あっという間に読み終えた今、おそらく今年読んだ中で一番面白い小説になるだろう、と確信めいた気持ちでいる。最後の短編を読みながらすこし泣いた。2年前に読みたいと思ったが機会を逃していた作品だった。とにかく読めて良かった。

120分が経っていた。満席というわけではなかったがキリが良かったので会計を済ませる。店を出れば外は明るくて暑かった。伸びをして再び書店へ向かう。足取りも気分も身体も軽かった。 フェルディナント・フォン・シーラッハの邦訳されている全ての作品が読みたくなり、とりあえず2冊買う。他にも目に付いた本を数冊抱えてレジへと向かった。作家買いをするのは随分と久しい。

いつだって私が本当に読みたい本は書棚で光って見える。同じようなことを又吉直樹氏もYouTubeで言っていた。その通りだとつくづく思う。正確には私の場合は、吸い寄せられるように表紙や背表紙が目に留まり、最初のページを開いたときにぴかっとする。何かのピースが嵌るような感覚がある。私が泳ぐための水を見つけたような気持ちになる。心地の良い、するりとした感覚。その歓びが好きだ。一万円分くらいの本を買って大変満足。帰りに布屋に立ち寄り、北欧柄のブックカバーを新調した。手触りがよく、目に馴染む柄でとても愛らしい。

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夕方の明るいうちから湯に浸かり、夜には餃子と焼売を焼いて食べた。おいしかった。

ヒトリエというバンドについて、忘れないように。

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『HITORIE 10-NEN-SAI "Versus Series" vol.1』へ行ってきた。書かずには居られなかったので、拙いながらに綴ってゆく。

 

彼らのライブに行くのは初めてだった。今回、私は本当に久しぶりに、告知を見るなり自発的にライブに行くことを選んだのだ。
彼らの音楽は時たま聴いていた。10代の頃は彼の作った曲の数々を、当たり前のように聴き続けていた。私にとってwowaka氏の曲というのは「気づけば当たり前のようにそこにあったもの」だ。いつどこで出逢ったのかを思い出すことがもはや難しいほどに。だけども、彼の曲を聴きながら、自動車の後部座席に揺られていたことを覚えている。真夜中の高速道路でうつらうつらとしながら、それでも聴いていたくて曲を聴いていたこと。

その上で今の彼らの音楽の触れ方を図りかねていた。曲を聴き、歌詞を読む。そこに込められた眼差しについて敢えて触れないようにしていた。こじつけたり結び付けたりすることに対して、じんわりとした抵抗感があったからだ。たとえ仮に、彼らが「そういう意図」を込めて曲を作ったのだとしても、私の勝手な想像を押し付けてしまいたくはなかった。私には彼らの痛みがわからない。私は彼らが何を感じ、考え、思っているのかを真に理解することはない。ましてや私は、一時期、楽曲を聴いてただけで彼らをよく知りもしないのだ。(作ったものに興味はあるが、作った人がどんな人間であるかについての関心が薄かったのである。)だから、そういう曲の歌詞にはわざと意識を向けず、ライブまでの間は殆ど音だけを聴いていた。

何より、そこに生きた誰かの傷がある以上、傷や痛みを消費してしまうことが恐ろしかった。私たちには容易くそれが出来てしまうからこそ。


ライブの最中だった。曲と曲との間にギターボーカルの彼が言った。次の曲は知らない人はいないと思う、だったか。聞いたことがない人はいないと思う、だったか。記憶が曖昧で恐縮だが、(如何せん私は彼らの、およそ3ピースバンドとは思えないほどの音圧と劈くような演奏にすでに圧倒されっぱなしだったのだ)とにかくそのようなことを彼は言った。

その瞬間に自分でも驚くほどに涙が溢れていた。たったの一言だ。ただボロボロと泣きながら、堪らない気持ちでいた。その言葉ひとつで、そこに宿る敬愛や誇りといったものがどうしたってわかってしまった。私にさえ伝わるほどの言葉だった。そんな風に言い切ってしまえるということ、実際に何一つとして誇張のない、紛れもない事実であること。

あまりにも眩く、力強かった。私の迷いや躊躇いといったものを打ち砕くにはそれで十分だった。これで触れてゆける、と思った。例え、穴が空いたって空いたまま生きていく他ないのだと。たとえ穴が塞がらずとも美しい光景を、これから何度だって見ることができるのだと。できて良いのだと。私の信じているものがきっとそこにあった。どこまでも地続きであるこのバンドをとても嬉しく、ありがたく思う。彼らから見える景色が、素晴らしく美しいものであると良い。

アンコールに応える3人を見つめていた。彼らを包むライトの光を見ていた。全員が底抜けに格好良かった。ようやく彼らの音楽への触れ方がわかった気がした。これで良いのだ、と答えがひとつ見つかった。目に焼きつけるようにステージの上を見ながら、彼らがこれから幾度と目にすることになる美しい景色のひとつになりたいな、と思った。だから私はまたライブに行くのだろう。実際、自分の部屋に戻ってからの私は床に座りながらひたすら曲を聴き返していた。ライブというものに行くのは何も初めてではない。小さなライブハウスから武道館まで、何度か足を運んでいる。それでもひとつのライブの後にこうまで抜け出せなくなったのは初めてだった。

あの夜の私は、しっかりと網膜に焼き付けたくてステージを見詰めていた。忘れないように。光の色と彼らの音。呼吸。私たちの掌の形。

 

対バンというものに行ったのは初めてだった。ゲストであるキタニタツヤ氏のライブには去年、一度訪れたことがある。その際私は初めて「あ、この空間は居心地が好いな」と思ったのだ。私にとってライブというものはすきでながらも同時に苦手な要素も孕んだ空間だった。常に緊張に支配されていた。だが、彼の音楽空間というものには一定の穏やかさがあり、静けさがあった。辛いところがひとつもなかった。ここが好きだな。また行きたいな、と思っての今回だった。来月には有り難いことに武道館にも行く。

対してヒトリエというバンドはもっと荒々しい。暴力的というほどの粗雑さではないが、とにかく荒々しい。劈くという表現が相応しいと感じた。或いは、食らいつく。ライブ後、私は何だかすっかり疲れていた。腰や腕が痛かった。ハッキリ言って身体はまあまあ辛かった。だけど、私をそうさせるほどの何かがあった。煽り上手なこと、と思い出して嬉しくなる。まんまと私は乗せられてしまったらしい。今夜も帰りの電車に揺られながら、彼らのアルバムを聴いている。

冬の日/光

朝起きて身支度をしながら好きなドラマを観た。この頃は朝にMIU404を見返して、職場での昼休憩や夜にアンナチュラルを見る生活を送っている。後者に関しては見るのは初めてのため、毎話ドキドキしたりハラハラしたりしながら見ている。

本当は何もせずにゆっくりと休むつもりでいた。けれど蓋を開ければ私は機嫌良く家を後にしている。「何かをゆっくりじっくり味わう、ということから今、少し遠ざかっているんじゃないか」と、ふと先日、急にぽっかりと穴が空いたように思い至った。週末にはクリスマスなのだと気づいたとき、私は何かを待ち侘びたり、迎え入れる支度をしたりといった風に暮らせていなかったと思った。それがとても嫌だった。だからやっぱり、自分とだけ過ごす、ゆったりとした時間が必要だった。

 

風が冷たくて寒いけれど天気の良い、実に私好みの日だった。電車を降りてぴかぴかに晴れた中を歩いてゆくと、角があった。裏路地が続いているのだとばかり思っていたが、その先にちいさな神社がある。知らない神社だった。美術館へ向かう途中だったので少しだけ悩み、けれど光の射し方があまりに見事だったから立ち寄ってみることにした。境内を覆うように茂った木々の隙間から射した木漏れ日が、狛犬を照らしている。地面の砂に浮かび上がる光の影が僅かに揺れていた。暫くそれらを眺めていた。せっかくだからと賽銭を投げ入れ、お参りをする。川を渡る最中にふと橋の下を覗き込むと、二羽の鴨がすいすいと泳いでいた。覗かなければきっと私は鴨がいることに気づかずにいた。

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『テート美術館展 光 ― ターナー、印象派から現代へ』を訪れた。光、というものを意識するようになってから実はまだ日が浅い。元々、強く惹かれるモチーフやワードといったわけではなかったように思う。好き/嫌いなら好き寄りの……だけどそれくらいのもの。意識するようになったのは、昨年頃に趣味で書いた小説群のタイトルのひとつに『ひかり』という言葉を含ませてからだ。その小説群の中に、光という言葉がほとんど無意識的に頻出している。文字を書き連ねる中で、そして書き終えてから漸く、自分の中に光というものの輪郭が割かしはっきりと生まれたような気がしている。以来、今まで以上にその言葉が視界に止まるようになった。

美術館内は平日ということもあってか、(それから今日は特に冷え込むと事前に予報されていた)館内には程よくひとがいる程度で、とても見易かった。展示には様々な光があった。のんびりとひとりで見て回る中で、自分の心に波を立てるものの到来を密かに待ち侘びていた。絵について深い造詣があるわけでもない。ましてや私は絵を描かない人間だ。けれど美術館を訪れるのは好きで、私はそのたびに自分が本当に好きなものを探すような気持ちでいる。漠然とした素敵だなぁ、ではなく、その先。ピンと来るもの。今の自分が何を好きであるかということ。再確認と新発見の場として、私は美術館を好んでいる。(例えピンと来るものが無くても私は美術館が好きだ。第一、そう頻繁にピンと来るのなら、多分それは少なくとも私にとっての“ピン”ではない。)

展示の数々を安らかな気持ちで眺めていた。目当てだったジョン・ブレットの『ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡』を目の当たりにしたとき、しばらく動くことができなかった。圧倒されていた。近くで見るよりも引いて見た方が、より海を感じられて好きだった。満足して絵画から離れたとき、二枚の絵画が並んでいるのが見えた。ヴィルヘルム・ハマスホイの『室内』と『室内、床に映る陽光』。目にしたとき、思わず息を飲んでいた。息を潜めるように暫く見つめて、それから、なんて安心するんだろうと思った。数ある光の中で、これだ、と思う。静寂を孕んだ絵。ずっと此処に居たいと思った。結局、二度戻っては絵を眺めていた。この絵はコペンハーゲンにある自室を描いたものらしい。なるほど通りで、と腑に落ちた。だからこんなにも暗いのだ。それでいて、だからこそ光を感じられる。うっすらと切実に感じた。光の少ない北欧諸国だからこそ生まれた光なのだろうとも思った。


雪と、自分の吐き出す息の白さ以外何も無い。曇っていて、大人しくて、だだっ広くて、冷たくて、開けていて、視界には雪の白と木々の暗く深い黒しかない。静まり返って何の音すら響かない。生き物の気配もまるでしない。だけど、確かに私が居て、彼らがひっそりと息づいている。そういうものが私の原風景になっているのだと思う。自分がとてもちっぽけで、無防備で、なのに酷く落ち着く気持ちでそこに居た。自然は私に目もくれない。無関心だとも、寛容だとも言える場所。雪に四方を囲まれたそこで、曇った無音の空を何度も見上げていた。頬に落ちる雪の冷たさを、刻みつけるみたいに感じながら。針葉樹の黒い影を思い出す。ぽっかりと広い雪原と、佇む私の身体。私が静謐さを好むルーツは、今思えば多分此処にある。

美術館を出てからは、ドイツ料理の店で食事をした。特にハムがどれも美味しくて、店内も穏やかで、ぜひまた訪れたい。美術館では特に気に入った作品のポストカードとブックマーカーを買った。(素敵な栞を買う、というのが2023年のささやかな目標のひとつだった。)一番気に入った『室内、床に映る陽光』のポストカードが無くてやや残念だった。本当に、私の身体によく馴染んでくれる絵だった。あまりにも忘れられず、帰りに書店に寄ってハマスホイの画集を買った。よい香りのロウソクを灯して、冬の間に読もうと思う。今日はひとまずお預けだ。なぜなら夜に、ナイトメアー・ビフォア・クリスマスを観るからだ。

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