鯨を飲む

くうねるところ のむところ

冬の日/光

朝起きて身支度をしながら好きなドラマを観た。この頃は朝にMIU404を見返して、職場での昼休憩や夜にアンナチュラルを見る生活を送っている。後者に関しては見るのは初めてのため、毎話ドキドキしたりハラハラしたりしながら見ている。

本当は何もせずにゆっくりと休むつもりでいた。けれど蓋を開ければ私は機嫌良く家を後にしている。「何かをゆっくりじっくり味わう、ということから今、少し遠ざかっているんじゃないか」と、ふと先日、急にぽっかりと穴が空いたように思い至った。週末にはクリスマスなのだと気づいたとき、私は何かを待ち侘びたり、迎え入れる支度をしたりといった風に暮らせていなかったと思った。それがとても嫌だった。だからやっぱり、自分とだけ過ごす、ゆったりとした時間が必要だった。

 

風が冷たくて寒いけれど天気の良い、実に私好みの日だった。電車を降りてぴかぴかに晴れた中を歩いてゆくと、角があった。裏路地が続いているのだとばかり思っていたが、その先にちいさな神社がある。知らない神社だった。美術館へ向かう途中だったので少しだけ悩み、けれど光の射し方があまりに見事だったから立ち寄ってみることにした。境内を覆うように茂った木々の隙間から射した木漏れ日が、狛犬を照らしている。地面の砂に浮かび上がる光の影が僅かに揺れていた。暫くそれらを眺めていた。せっかくだからと賽銭を投げ入れ、お参りをする。川を渡る最中にふと橋の下を覗き込むと、二羽の鴨がすいすいと泳いでいた。覗かなければきっと私は鴨がいることに気づかずにいた。

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『テート美術館展 光 ― ターナー印象派から現代へ』を訪れた。光、というものを意識するようになってから実はまだ日が浅い。元々、強く惹かれるモチーフやワードといったわけではなかったように思う。好き/嫌いなら好き寄りの……だけどそれくらいのもの。意識するようになったのは、昨年頃に趣味で書いた小説群のタイトルのひとつに『ひかり』という言葉を含ませてからだ。その小説群の中に、光という言葉がほとんど無意識的に頻出している。文字を書き連ねる中で、そして書き終えてから漸く、自分の中に光というものの輪郭が割かしはっきりと生まれたような気がしている。以来、今まで以上にその言葉が視界に止まるようになった。

美術館内は平日ということもあってか、(それから今日は特に冷え込むと事前に予報されていた)館内には程よくひとがいる程度で、とても見易かった。展示には様々な光があった。のんびりとひとりで見て回る中で、自分の心に波を立てるものの到来を密かに待ち侘びていた。絵について深い造詣があるわけでもない。ましてや私は絵を描かない人間だ。けれど美術館を訪れるのは好きで、私はそのたびに自分が本当に好きなものを探すような気持ちでいる。漠然とした素敵だなぁ、ではなく、その先。ピンと来るもの。今の自分が何を好きであるかということ。再確認と新発見の場として、私は美術館を好んでいる。(例えピンと来るものが無くても私は美術館が好きだ。第一、そう頻繁にピンと来るのなら、多分それは少なくとも私にとっての“ピン”ではない。)

展示の数々を安らかな気持ちで眺めていた。目当てだったジョン・ブレットの『ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡』を目の当たりにしたとき、しばらく動くことができなかった。圧倒されていた。近くで見るよりも引いて見た方が、より海を感じられて好きだった。満足して絵画から離れたとき、二枚の絵画が並んでいるのが見えた。ヴィルヘルム・ハマスホイの『室内』と『室内、床に映る陽光』。目にしたとき、思わず息を飲んでいた。息を潜めるように暫く見つめて、それから、なんて安心するんだろうと思った。数ある光の中で、これだ、と思う。静寂を孕んだ絵。ずっと此処に居たいと思った。結局、二度戻っては絵を眺めていた。この絵はコペンハーゲンにある自室を描いたものらしい。なるほど通りで、と腑に落ちた。だからこんなにも暗いのだ。それでいて、だからこそ光を感じられる。うっすらと切実に感じた。光の少ない北欧諸国だからこそ生まれた光なのだろうとも思った。


雪と、自分の吐き出す息の白さ以外何も無い。曇っていて、大人しくて、だだっ広くて、冷たくて、開けていて、視界には雪の白と木々の暗く深い黒しかない。静まり返って何の音すら響かない。生き物の気配もまるでしない。だけど、確かに私が居て、彼らがひっそりと息づいている。そういうものが私の原風景になっているのだと思う。自分がとてもちっぽけで、無防備で、なのに酷く落ち着く気持ちでそこに居た。自然は私に目もくれない。無関心だとも、寛容だとも言える場所。雪に四方を囲まれたそこで、曇った無音の空を何度も見上げていた。頬に落ちる雪の冷たさを、刻みつけるみたいに感じながら。針葉樹の黒い影を思い出す。ぽっかりと広い雪原と、佇む私の身体。私が静謐さを好むルーツは、今思えば多分此処にある。

美術館を出てからは、ドイツ料理の店で食事をした。特にハムがどれも美味しくて、店内も穏やかで、ぜひまた訪れたい。美術館では特に気に入った作品のポストカードとブックマーカーを買った。(素敵な栞を買う、というのが2023年のささやかな目標のひとつだった。)一番気に入った『室内、床に映る陽光』のポストカードが無くてやや残念だった。本当に、私の身体によく馴染んでくれる絵だった。あまりにも忘れられず、帰りに書店に寄ってハマスホイの画集を買った。よい香りのロウソクを灯して、冬の間に読もうと思う。今日はひとまずお預けだ。なぜなら夜に、ナイトメアー・ビフォア・クリスマスを観るからだ。

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