鯨を飲む

くうねるところ のむところ

すっかり大掃除を楽しんでいた

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百冊ほど本を手放すことにした。捨てることができるものを何年もの間、しかも百冊も抱えていたことについてしっかりめに呆れてはいる。けれど、いざ捨てるとなると驚くのは周囲の人間ばかりで、妹に至っては目を丸くさせながら「すごいね!昔なんて捨てなよって言われたら『そんなことができるわけがない。簡単にそんなことを言えるのは本が好きじゃないからだ!』と怒っていたのに」と言う。聞きながらバツが悪かった。そういう頃は確かにあった。酷く拙くて、幼い頃。本とは私の歩んできた道のりそのものなのだから、それを失うということに対して強い拒絶感があったのだと思う。私の人生と常に隣合ってくれた存在。とにかく必死にしがみついて、離すまいと/あるいは離されまいとしていたような頃。この道を決して途絶えさすまいと躍起になっていた頃。

そんな人間も、五年だか十年だか経つと変わるものである。今ではケロリとした顔で本を紐で縛っては積み上げ、積み上げては縛ってを繰り返している。床に座り込みながら一時間くらい黙々と。

すべてを持ったままだなんて無理だよ、とおおらかな気持ちで思っている。すべてを持っていなくても良いのだと。第一、十年前の私と今の私とでは、心も身体も違いすぎる。今の私の幼い私が地続きの存在であることは確かだけれど、既にもう、限りなく別の生きものに近しいとも感じている。当たり前だ。十年前に読んでいた本の中には、昔のように楽しめないものもある。逆に、十年前は退屈だったものの中には、今になったからこそ面白がれるものだってある。今になってようやく手を取ることができるような本もある。そういうことが私は途轍もなく嬉しかった。

空になった棚を見上げながら思う。だから、すべてを持ったまま居るのではなく、そのときそのときの私として暮らしてゆく方が私にとっては余程良い。それに例え一度手放したって、読みたくなったら何度でも書店に行けば良い話だ。行って、レジに向かえば良いだけのことだ。それができるからこそなのだとも思っている。できるということを知っている。

床を磨くのはもう少ししてから。今はまだ、積み上げられた本がそこらに立ち並んでいるために。

𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 

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中学時代からの友達らと一緒に蚤の市に行ってきた。風の強い、よく晴れた日だった。風が強いから雲がすぐに流れてゆくのだろう。空はすっきりと深い青を纏っていた。好きな空の下で好きな器を見漁り、さして迷うことなく迎え入れた。途中、あまりに風が強くて冷たいものだから、友人と共に逃げ惑うようにオープンカーへと向かい、林檎とさつまいものスープを飲んだ。まろやかで甘くて素朴で、なのにすこし特別な味がした。帰る前にちいさなツリーを買った。深い緑とくすんだブラウンに煌びやかなゴールドというシックな佇まいに猛烈に惹かれた。他にももっと色彩豊かな、それこそ赤や青の混じったものもあったけれど、友人からも「一番『らしい』のはこれ」と言われたので深く頷いて決めた。部屋に飾るとやっぱり本当に素敵で、素敵すぎてうっかり飾ったまま年を越さないようにしなくっちゃならない。