鯨を飲む

くうねるところ のむところ

年越しの夜

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晦日。朝から祖母と餅をこさえ、3軒分のおせちを詰める。つきたての餅のにおい。手のひらを真っ赤にさせるほどの熱さ。毎年豊かな朝だ、と思う。そして毎年のように気に入りのたい焼き屋で たい焼きをひとつ食べた。大晦日には決まってカスタード味を選んでいる。

 

今年はたくさんのことを思った年だった。

はじめてイベントに参加して、どうしても本にしたかったものを本にした。どうしても褪せない物質として残したいと思える人達がいて、それが理想的な形として叶った。そうしてたくさんのひとの手に本が渡り、多くのひとびとと出逢うことができた。今思い出してもなんて満ち足りた幸福だろうと思う。今まで見れなかった景色を見た。思えば私の人生において、何かを成し遂げるということは かぎりなく難しいことだった。スポーツは怪我で、やりたかった現場での仕事は病気でといった具合に。どれも悲観するほどのことではなかったが、それでもようやく 何かひとつを形にできたのだと思うと、 目の前が開けたような心地がした。

多くのことを思う。今まで何をしても自分の中で微動だにしなかった思考があって、それがようやく動き出した年でもあった。凝り固まっていたものが、ようやく解れた。諦めというよりは、受け入れる支度ができたのだろうなと思う。世界は私のためにあるわけではなく、私は世界の中心ではないのだから、私にとって不都合なことが起こったとしても何ら不思議なことではない。怒ってばかりいた私が、ようやく少しずつ凪だしたように思う。ままならない日々の中にいる。いつだって私たちはままならなくて、不自由で、どうしようもない。それでも構わないと思う。開いた穴を埋めなければと躍起にならなくてもいい。生きてゆけるのならそれでいい。

 

来年はきっと慌ただしくなる。身体的にも、精神的にも。だけどなるべく、ゆるやかに、ゆるやかに。心穏やかに過ごしてゆけるよう、いつも通りに過ごしたいと思う。いつも通りということは私にとっては魔法のように無敵なことであるのだから。変わりゆくことばかりの世界で、2019年もありがとう。2020年もよろしくお願いします。

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再録。来年も私は私のすきなものを、綴ってゆくよ。