鯨を飲む

くうねるところ のむところ

ヒトリエというバンドについて、忘れないように。

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『HITORIE 10-NEN-SAI "Versus Series" vol.1』へ行ってきた。書かずには居られなかったので、拙いながらに綴ってゆく。

 

彼らのライブに行くのは初めてだった。今回、私は本当に久しぶりに、告知を見るなり自発的にライブに行くことを選んだのだ。
彼らの音楽は時たま聴いていた。10代の頃は彼の作った曲の数々を、当たり前のように聴き続けていた。私にとってwowaka氏の曲というのは「気づけば当たり前のようにそこにあったもの」だ。いつどこで出逢ったのかを思い出すことがもはや難しいほどに。だけども、彼の曲を聴きながら、自動車の後部座席に揺られていたことを覚えている。真夜中の高速道路でうつらうつらとしながら、それでも聴いていたくて曲を聴いていたこと。

その上で今の彼らの音楽の触れ方を図りかねていた。曲を聴き、歌詞を読む。そこに込められた眼差しについて敢えて触れないようにしていた。こじつけたり結び付けたりすることに対して、じんわりとした抵抗感があったからだ。たとえ仮に、彼らが「そういう意図」を込めて曲を作ったのだとしても、私の勝手な想像を押し付けてしまいたくはなかった。私には彼らの痛みがわからない。私は彼らが何を感じ、考え、思っているのかを真に理解することはない。ましてや私は、一時期、楽曲を聴いてただけで彼らをよく知りもしないのだ。(作ったものに興味はあるが、作った人がどんな人間であるかについての関心が薄かったのである。)だから、そういう曲の歌詞にはわざと意識を向けず、ライブまでの間は殆ど音だけを聴いていた。

何より、そこに生きた誰かの傷がある以上、傷や痛みを消費してしまうことが恐ろしかった。私たちには容易くそれが出来てしまうからこそ。


ライブの最中だった。曲と曲との間にギターボーカルの彼が言った。「次の曲は知らない人はいないと思う」、だったか。「聞いたことがない人はいないと思う」、だったか。記憶が曖昧で恐縮だが、(如何せん私は彼らの、およそ3ピースバンドとは思えないほどの音圧と劈くような演奏にすでに圧倒されっぱなしだったのだ)とにかくそのようなことを彼は言った。

その瞬間に自分でも驚くほどに涙が溢れていた。たったの一言だ。ただボロボロと泣きながら、堪らない気持ちでいた。その言葉ひとつで、そこに宿る敬愛や誇りといったものがどうしたってわかってしまった。私にさえ伝わるほどの言葉だった。そんな風に言い切ってしまえるということ、実際に何一つとして誇張のない、紛れもない事実であること。

高らかに歌い上げるアンノウン・マザーグースはあまりにも眩く、力強かった。私の迷いや躊躇いといったものを打ち砕くにはそれで十分だった。これで触れてゆける、と思った。例え、穴が空いたって空いたまま生きていく他ないのだと。たとえ穴が塞がらずとも、美しい光景を、これから何度だって見ることができるのだと。できて良いのだと。私の信じているものがきっとそこにあった。どこまでも地続きであるこのバンドをとても嬉しく、ありがたく思う。彼らから見える景色が、素晴らしく美しいものであると良い。

アンコールに応える3人を見つめていた。彼らを包むライトの光を見ていた。全員が底抜けに格好良かった。ようやく彼らの音楽への触れ方がわかった気がした。これで良いのだ、と答えがひとつ見つかった。目に焼きつけるようにステージの上を見ながら、彼らがこれから幾度と目にすることになる美しい景色のひとつになりたいな、と思った。だから私はまたライブに行くのだろう。実際、自分の部屋に戻ってからの私は床に座り込みながらひたすら曲を聴き返していた。ライブというものに行くのは何も初めてではない。小さなライブハウスから武道館まで、何度か足を運んでいる。それでもひとつのライブの後にこうまで抜け出せなくなったのは初めてだった。

あの夜の私は、しっかりと網膜に焼き付けたくてステージを見詰めていた。忘れないように。光の色と彼らの音。呼吸。意志。私たちの掌の形。

 

対バンというものに行ったのは初めてだった。ゲストであるキタニタツヤ氏のライブには去年、一度訪れたことがある。その際私は初めて「あ、この空間は居心地が好いな」と思ったのだ。私にとってライブというものはすきでありながらも同時に苦手な要素も孕んだ空間だった。常に緊張に支配されていた。だが、彼の音楽空間というものには一定の穏やかさがあり、静けさがあった。辛いところがひとつもなかった。ここが好きだな。また行きたいな、と思っての今回だった。来月には有り難いことに武道館にも行く。

対してヒトリエというバンドはもっと荒々しい。暴力的というほどの粗雑さではないが、とにかく荒々しい。劈くという表現が相応しいと感じた。或いは、食らいつく。ライブ後、私は何だかすっかり疲れていた。腰や腕が痛かった。ハッキリ言って身体はまあまあ辛かった。だけど、私をそうさせるほどの何かがあった。煽り上手なこと、と思い出して嬉しくなる。まんまと私は乗せられてしまったらしい。今夜も帰りの電車に揺られながら、彼らのアルバムを聴いてる。

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