鯨を飲む

くうねるところ のむところ

秋の気配

夏用の布団を片付け、秋冬用の布団の出番がやってきた。布団乾燥機をかけて寝床の支度をする。この頃は霧のような雨が降ったり、夕焼けがやけに赤かったりと、ますます秋めかしくっていた。過ごしやすい季節のことをなみなみと愛している。

普段は街中で暮らしているのだが、秋になると山へ数度の手伝いへゆく。その昔は米を育てていた段々畑は鬱蒼とした山の中にあり、日当たりが悪くなった今では栗の木が生えている。ガードレールや杭、網で囲った敷地内にはイノシシが入った形跡はなかった。安堵しながら立ち入ると、イガに入った栗は少なく、一粒ずつが散らばるように落ちていた。前日の雨風に曝された結果なのだろう。落ちているうちの1/3ほどが何者かによって食い荒らされていた。食べ方の汚さからおそらくはアライグマやタヌキの類いが犯人だと思われる。イノシシはもっと綺麗に食べ去ってゆくのだ。栗を拾い上げ、虫食いのものと綺麗なものとを分けながら山を歩く。木の幹にふっくらと肥えた蝸牛がおり、ところどころに彼岸花が咲いていた。木を揺らしてもあまり栗は落ちてこない。見上げると、まだ実った栗は青くてちいさかった。今週もまた、山へ行かねばならない。案の定、山で腰に負荷をかけてしまったので今日も今日とてストレッチをする。

 

今年も渋皮煮の世話をしながら過ごす秋になりそうだ。渋皮煮はすこし手間がかかるものの、丁寧に面倒を見てやればきちんとおいしくなるのでよい。ちいさなナイフで栗の皮を剥いてゆくのは結構すきだ。

秋は、そうしてささやかな世話や面倒が増える季節だと思う。革靴を磨いてやるだとか、コートの世話だとか。手のかかることは億劫だけど、今年も秋をやっていかないとね。