鯨を飲む

くうねるところ のむところ

例えば、今日みたいな日を

f:id:kurolabeloishii:20191003002421j:image
f:id:kurolabeloishii:20191003002418j:image

夏みたいな陽射しの中を、秋らしい風がそよぐ日。一度会ってみたいと思っていたひとにようやく会うことができた。

数年前、インターネット上で出逢った彼女。きっかけは私の趣味とはまったく関係のない 強いて言うのであれば暮らしのことを呟いていたアカウントに、彼女が声をかけてくれたこと。まさかそこから今日まで、この縁が続くなんてね。不思議なことがあるものよね。

よくよく考えてみれば、私たちは今日まで互いに通話をしたことも、LINEを交換することも、本名を教えることも、一切なかった。けれども彼女と話す時間はとても朗らかで、ちっとも違和感なんてものは存在していなかった。私がなにか言うたびに 瞳を細めて笑う彼女。ずっと今まで、ジブリみたいなひとだと思っていたけれど、直接話してみて、ますますその印象は強まった。なんというか 彼女はとても等身大。飾ろうとせず、ありのままで接してくれる。ごはんを食べるときよりも 甘いスイーツを食べるときの方がずっとはやいところなんて まるで昔から知っているみたいだった。チェリーとカシスのタルトにかりかりのフロランタンとピスタチオのアイスが乗ったデザートがとてもおいしい。

このところ、傷つくことがあって、悲しみのただなかにいる様子の彼女に、一体私はなにを伝えられるだろうと思わずにはいられなかったけれど。心配をしていて、今だって変わらずに案じているけれど。つらいことがある中ででも、尚、飾り気なく笑える彼女を とても素敵だと思った。私の言葉は拙くて、ちっともスマートではないけれど。どうか上手くなくても、気の利いたものでなくても、彼女にとってやさしいものであったならいい。 彼女から貰った薔薇のルージュを眺めながら、切に思う。

 

今日はとにかく多くのひとと会う1日だった。私に声をかけてくださるひとを見るたび、彼らが笑顔を浮かべてくれるたび、なんとも言えぬ喜びがあって。やさしい気持ちが湧いてくる。会いたいと思えるひとがいて、会いたいと言ってくれるひとがいることが 私は本当に嬉しい。嬉しいんだ。

手紙をくださったひと、ハイタッチをしたひと、身体を心配してくださるひと、楽しく話をしてくれるひと、会いたかったと笑ってくれるひと、絵を描いてきてくれたひと。

 

不思議なことに はじめて会ったときも 今日も なぜか目が合った瞬間に「あ、」と互いが互いだとわかるひとがいる。何故だろうとまた笑い合って、本当に あれは何なのだろう。運命だとか言って 茶化すことしかできないけれど。手紙を書いてきたのだと言って、今朝書き上げた手紙を差し出すと、露骨に悔しそうにするところが彼女らしい。会えるかどうか不安だったけれど会えてよかった。伝えたいことのうちの たったのこれっぽっちしか手紙には書けなかったけれど、渡すことができたのだから良し!

会うのは2回目で、2回目にしてようやく 彼女の顔をはっきりと見た気がした。きっともう、次からは顔を見れば彼女が彼女だとわかるはず。それがなんだか、酷く嬉しい。

 

そういうことが今日はたくさんあった。大抵のひとは今年の5月に会ったことがあったけれど、あのときは今より緊張していたし、目まぐるしかったし、だから顔を見ながら話しているようで ちゃんとは見れてはいなかった。だけど今日、しっかりと顔を見て話をするように努めてみて、ようやくそれぞれの輪郭を縁取るものが太く、濃くなるのを感じる。

はるばる、という程ではないけれど。本当に来てよかった。ただでさえ今日は楽しいライブの日で、それだけでは飽き足らず、こんなにも満ち足りたものを与えられた。そんなことを思いながらモヒートを呑み、ぷりぷりした海老がたくさん乗った石窯焼きのジェノベーゼピザをまたたく間に平らげ、露天風呂に浸かり、今はなかなか広いベッドの上に身を埋めている。

埋めながら、私はここにいたいのだなと思う。