鯨を飲む

くうねるところ のむところ

まぁるい日々

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撮り溜めていたドラマを消化して、ビールを飲んだ翌日は、寒々しい雨だった。雨は朝から降っていて、バイクを走らせるのは諦め久々に電車を使う。木曜日は帰りが遅くて、荷物も多い。何もそんな日に雨じゃなくてもと、やや萎えるけれど、電車での移動にもちゃんと楽しみはある。朝は混んでいて、本を読めない代わりにいつもより多く音楽を聴くことができる。バイクだとそうはいかないから、昨夜のうちにスマホに音楽を足し入れておいた。

 

午前中、お世話になっている先生と一緒にただ話をして過ごした。この1年間、多くのことを話した気がする。出逢ったのは6年ほど前だけれど、それまではそう深く込み入った話をすることもなかった。今朝、訪れた私を見るなり彼女は、相変わらず柔和な様子で「出逢った頃と比べて随分まぁるくなりましたね」と言った。最近増えた体重の話かと身構える私に、そうではなくてと続ける。

「あの頃のあなたは、しゃんとしすぎていて、柔らかなところがちっともなかったら。でも、今では余裕のある感じがします」

今となっては苦笑いしか出ない。今じゃどんどんのんびり屋になってしまっていて、奔放さに拍車がかかってしまっている。もう昔みたいにキビキビ動くことはできないなと、こういうとき常々と思う。いいのか悪いのかはわからない。そもそもいいとか悪いとかが存在するのかと聞かれたら、存在しない気がする。

肩の力を抜いたんだろうなと 自分では思っている。

 

帰りに私のあいするお店に顔を出した。3人家族と1匹がひっそりおだやかに暮らすそこに通い始めてからもう5年が経つ。相変わらず店内は賑やかに溢れかえっていた。以前より食器類が増えていて、アンティークまで扱い始めたようで、どこまでも私を楽しくさせてくれる。背の高い天井には様々なランプが飾られていて、それを見上げるのが一等好きだった。5年前、私と彼女(つまり夫婦の奥さんの方)が仲良くなった頃、「卒業する時にお金握りしめてランプ買いに来ますから!一人暮らししたらそのランプと暮らすので」と話した私に彼女は言った。

「それよりもプレゼントさせて。私たちからあなたへの卒業祝い」

そんな約束を未だに覚えてくれている彼らは、今日も私に「あと1年だね。表にないのも沢山あるから好きなの教えてね」「好きな色はなんですか?用意しておきますよ」と笑いかけてくれる。あたたかいひとたち。大すきなひとたち。私が5年前から密かに狙っているランプは、曰くこの店で唯一値段がつけられていないらしい。旦那さんが値段をつけあぐねているのだと言う。それはなんだかとてもわかる、と頷いた。そのランプは銅でできていて、花開くすこし前の蕾みたいな形をしている。小窓みたいに色硝子がついていて、まさしく素晴らしいものだ。

あと1年。そのとき、この子はまだ天井にいるだろうか。いるといい。予約は敢えてしない(受け付けているのかも知らないし)。1年後、もしも私との縁が途絶えていなかったら、ぜひ、迎え入れたいなと思っている。そう思うと、この1年だって楽しんで過ごしてゆけるような気もする。もしもランプが他の人の手に渡ったのなら、それはそれでいい。縁あるところへ行けて、ランプも幸せだろうし。何より他にもきっとたくさん、私が気に入るランプはあるはずだから。彼らの選んだものはどれも、すべからく私はすきだから。そういう風に、縁ある物と出逢うのが 昔からすきだから。

 

自分へのお土産に買ったトマトのポタージュは、明日の朝に飲むことにする。今日は久しいひとたちに良く会った日で、彼らは皆揃って私に「雰囲気が軽やかになりましたね」と笑ってくれた。元気ですか?と聞かれて、「はい!」と返したときの私の声は溌剌としていて、そのことにびっくりしながらも、嬉しかった。そういう、やわらかな1日だった。