鯨を飲む

くうねるところ のむところ

寒い日のクリームシチュー

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見事な秋晴れにも関わらず、バイクに乗りながら頬に受ける風はひりひりと鋭い。雲のきわめて少ない空や、川沿いに並ぶ木々の赤さが日に日に深まってゆくのを眺めながら、私の頬は今、寒いのか 痛いのか あるいは熱いのか  一体どれが相応しいのかと考えに耽っていた。この入り組んだ感覚のことを 私はなかなか気に入っている。朝夕はさらに感覚が研ぎ澄まされていて、肌という肌すべてが 季節に対してとても真摯だ。 こういう日にうってつけなのは やはりシチューだと思う。

ポタージュみたいに もったりとした コクのあるクリームシチュー。昔からこれがもうだいすきで、中でも舌舐めずりをしてしまうほど気に入りの具材が 大根と青梗菜。一般的にはシチューに入れる野菜ではないのだろうけれど、 そんなのは信じられない。大根の舌あたりのよさと シチューの甘さ、 青梗菜もくたっとしていて 色合いも綺麗で見るからにおいしそう。特に大根のあの、すうと透き通った色。綺麗に茹でたブロッコリーや人参の鮮やかさと並んだときの 慎ましさが、なんだか特別なもののように思えてならない。何よりおいしい。バケットを焼いたのと一緒に ぺろりとたいらげた。

 

今日は木曜日。帰宅した父が「一緒にドラマを観よう」と私に言う。私たちの間には昔、会話というものが4年以上存在していなかった頃があった。その頃の私は言葉というものを失ってしまっていて、同じ家に暮らしていたというのに 彼が大怪我をして、大手術をしたことすら まともに知らなかった。あれから10年近くが経った今、同じドラマを一緒に観る夜がある。あの頃はそんな日々を願うことすら思いつけなかった。

なんてことないように「いいね」と返事をしてから、 どことなく宙ぶらりんな心地で髪を梳かしていた。10代のなかば頃、私は はやく30歳の自分になりたくて仕方がなかった。つらいことに耐えられる、図太い魂が一刻もはやく欲しかった。何よりの願いだった。 私はまだ30歳になってはいないけれど、ようやくここまで辿り着いたねと、懐かしいような気持ちで父を見ている。ドラマはやっぱり面白くて、私はご機嫌になってはしゃいでいた。