鯨を飲む

くうねるところ のむところ

推したいときには推しがいなくなってしまっていたときの話

今年も某アイドルのライブへ行ってきた。

元はと言えば妹がハマっていたグループだったが、やがて母がハマり、今となっては母は我が家で誰より熱心なファンだ。

母は昔からとにかく無趣味な人間だった。加えて出不精なものだから、幼いながらに「このひとはどうやって老後を過ごすのだろう」と心配していたくらいだった。そんな母がアイドルにハマった。テレビは常にチェックするしライブには必ず足を運ぶ。彼女はとにかく自分のために金を遣わない人間だった。美容に関してはかなり手をかける方だけれど、それだって必要経費扱いで、娯楽費がまるでなかった。そんな母が、今はライブグッズをたくさん部屋に置き、ドライブのお供は必ず某アイドルのCDとなった。母は彼らを前にするとニコニコするしキラキラする。ようやくすきなものができて、自分のために時間や金を遣う彼女を見ていると、娘ながらに安心した。母は毎年ライブが当たると「これで私の夏が来る!」と意気込んで、推し色のペディキュアを塗っている。


そんなだから昔からよく彼らの音楽や声に触れていた。母の車に乗っていれば一丁前に歌は歌えるようになっていたし、バラエティでも彼らの姿をよく見ていた。元々彼らの音楽がすきだった。特にバンド演奏をする彼らを見たときは普段とのギャップに心底驚いたし、純粋にかっこいいと思った。10代の頃、気づけば母と妹の手によって私のWALKMANには彼らのアルバムが入っていた。入っているからそれをよく聴いたし、ライブの円盤もよく一緒に見ていたし、映画があれば家族で劇場にも行った。

だから数年前、母からライブに誘われた私は断る理由がなかった。母の招待によるものだからという金銭的なセコい理由もあるし、何より母をここまで長く夢中にさせている彼らの姿を生で見てみたいと思った。母が集めた過去のタオルやペンライト、うちわを携えて私は彼らのライブに参戦した。その年のうちわやグッズを、母は私にプレゼントしてくれた。


そうして私はその日、アイドルに殴られた。

強烈で苛烈で、熱烈だった。その年のセトリが私好みのバンド曲中心だったこともある。まさかのアリーナ席で前からすぐの場所だったからというのもある。すぐ右をアイドルたちが通ったからというのもある。ライトが豪華で、生演奏が華やかだったからというのもある。激しい演奏をガンガン聴きながら、そこに被さるクセの強い歌声が深く腹に突き刺さった心地がしていた。なんだこれと思ったし、こんなの聞いてないとも思った。どこまでも伸びる歌声。ひと声聴いただけですぐに彼のものだとわかるそれ。唯一無二の声が激しく震えて会場に響くのがあまりにかっこよくて、綺麗だった。

私にとって初めての男性アーティストのライブは、本当に楽しかった。自分に黄色い歓声なんて出せたんだとかなり驚いた。 

母は私に「私がすきなものをあんたにも見て欲しかったんだ」と言った。私は「来年も必ず誘って」と伝えた。たったの3時間で耳と目を奪われていた。

また絶対に彼らの歌が聴きたいと思えてしまっていた。私には別に推しがいるけれど、その日何より、あの震える歌声が鼓膜からちっとも離れてくれなかった。


次の年のライブにももちろん行った。

けれどそこに彼はいなかった。あの力強い歌声は私の鼓膜を再び震わせはしなかった。

彼はアイドルをやめた。夢を追うために遠くへ行ってしまうことを選んだのだという。

彼は音楽に魂を売ることを望んでいた。

彼のいないステージはさみしかった。大切なパーツをごっそりと失ったみたいで、彼らの背中がちいさく見えた。それでも私は今年もライブに参戦した。彼を失っても尚、懸命にステージに立ってパフォーマンスをした彼らが誇らしかったから。彼らを見ていたかったから。夢追うことを選んだ彼の幸福を祈りながらも、彼らに彼が後悔するくらいに最高で最強のアイドルになって欲しかったから。去年のライブはさみしさよりも、拭えた不安の方が大きかったから。彼らならまだまだ大丈夫だと思えたことが嬉しかったから。


その点でいうと今年は駄目だった。

開始5分で泣き崩れてしまったし、何度もぼろぼろと涙が溢れた。彼の声がないことがさみしかった。どうして今日ここにいてくれないのとさみしくて悲しかった。私の日常に寄り添っていた彼の声がしないことがたださみしかった。同じくらい憎らしかった。

彼らの演奏や歌は相変わらず素敵だった。変わろうとしている新しい彼らの在り方をまたひとつ見ることができたような、そんなステージだった。なのにさみしさを拭えなくて、気を抜くと何度も泣いてしまいそうになった。

私は本当は、まだまだこれからも彼を含めた彼らの姿を見たかったのだと気づいた。本当は初めて見たあの最高のライブの次も、また彼らの歌が聴きたかったのだと気づいた。なのに、彼の歌が聴こえない。

もっと聴きたかった。いのちを削っている代わりに魂を込めているような、あの歌声を聴きたかった。 推したいときにはもう推しがいなくなってしまった事実が、こんなにも重くて苦しい。私は網膜を焼かれたかったし、鼓膜を破られたかった。

だけどアイドルってずるい。こんなに泣いていても、必ず私をどこかで笑顔にさせてしまう。彼がいなくても彼らはこんなにも素敵なパフォーマンスをしてしまえる。


推しはいつかいなくなる。必ず。それは私がいつか私でなくなってしまうのと全く同じように。そのときが来たらきっと私はさみしくなる。例えいくら全力で推していてもきっと。そのさみしさは拭えない。

けれど。けれど。

彼がいないステージで、確かに彼の気配を感じたこと。メンバーの大きく震えながら響く歌声が、彼の声のように時おり聴こえること。そのことがより一層私の胸を締め付けたこと。

彼はいなくなってしまったけれど、だからといってすべてが失われるわけではないということ。遺るものは必ずあるということ。綺麗事みたいできっと聞きたくもないような言葉だけれど、確かにそれは事実だったから。事実として確かに綺麗なものはそこにあったから。私から見えるステージは今日もとても眩しかったから。


ひとひとりの存在を完璧に消すなんてこと、きっと誰にもできない。

もしかすると私たちの本当の幸いというのは、いつか来るさよならを少しも感じずに済むことなのかもしれないなと思った。目の前にある今に、私はつよく目を奪われていたい。不安によそ見する暇なんて勿体ないと思ってしまうほどに、まっすぐ。

 

少なくともそういう風に私はあいしていたい。