鯨を飲む

くうねるところ のむところ

ストーブをつけた部屋にて

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起きている時間は大抵論文を執筆している。昨日は1日中ほぼ一切集中力が切れない日で、水を得た魚のような心地でいた。脳髄に快楽物質がだばだばと溢れ出てでもしているのだろう。こういう瞬間があったせいで、私は今、寒い部屋でストーブをつけながら、こうして論文を書いているのだろうなと思う。

3年前だか4年前だかの私は、文章が一切読めなくて、文章が一切書けなくなっていた。今でも本当に時おり、例えばこういう夜なんかに当時のことを思い出す。その都度、純粋に懐かしさが湧いてくる。苦さはほとんどもう感じない。

それが今では論文のために資料を読み漁り、資料の抜けを見つければ狂ったように叫びながら図書館や大学構内を駆け巡り、手首が凝るほどに文章をしたためている。ついでに昨夜食べたちゃんちゃん焼きもおいしかった。今が最高に楽しいんだなということを、ふと思う。食後に食べたみかんもおいしい。今年のみかんはどれを食べてもだいたいおいしい。きっと当たりの年なのだろう。知らないけれど。味の濃さ、水分量、皮の厚さ、むちむちさ。すべてがみかんとして上出来だ。みかんは果糖が多いから、よく食べて2日にひとつと決めている。

楽しいまま論文を終わらせられますように。教授からのチェックに怯えながら今日はもう眠りにつく。先週の半ばから就寝時の湯たんぽを導入した。おかげで一切の寒さを知らないままで、眠ることができている。何となく楽しくなってきてしまったので、夜の力を借りてこんなブログをしたためてみた。明日の朝いちばんにちょっとの恥ずかしさと後悔を抱くのだろうなと確信しながら。

皮ごと食べる

最近、キウイを皮ごと食べている。キウイの皮が食べられると知ったのが一年前。どうにも食べる気になれずにいた。キウイは動物のような果実だなと思う。毛が生えていて、掌サイズで、ころっとしていて。それがなぜ、急に食べる気になったかと言うと、何の気なしにキウイの皮の栄養価について調べてみたからだ。みかんの皮を剥いて、白い筋を取ろうとして、やめる。白い筋にこそ栄養があるのだという言葉を思い出したからだ。ならば、キウイの皮はどうなのだろう。

調べると、なんと皮ごと食べると栄養価が3倍にもなるのだという。これはもう食べるしかないのでは?キウイはビタミンとか豊富だし。みかんよりも果糖が少ないのだし。

洗ってから食べてみた。毛っぽさを覚悟していた割に大したことがない。寧ろ気にならないほどだ。感覚としては皮付きのりんごを食べるのとかなり近い。そして私は皮付きのりんごが大好きだ。味も食感も、何より皮を剥かなくて済むというところが好きだ。

 

昨日今日はかなり寒く、夜には電気ストーブをつけて過ごした。すっかり冬になりつつあるのだろう。まだマフラーは必要ではないけれど。

久々に訪れた駅はクリスマスの気配に満ちていた。もうそんな季節なのね と不思議に思う。そして、少し焦る。気張っていかなきゃね。冬は瞬く間に深まってゆくものだから。

のんべんだらり

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慌ただしさにかこつけて、ちっともブログをしたためやしない。これでは遠出記録に成り果ててしまいそうだ。それはそれで面白そうだけれど。山を歩き、流れる川を眺め、宿の離れでのんべんだらりと過ごす休日。二十代半ばにもなって、未だに木々が色彩豊かなことに対して驚いたりしてしまっていた。枯れる前の色がどうしてこうも明るく、うつくしいのだろう。物悲しさや儚さというよりは、力強さみたいなものを感じ取っていた。私は木々の葉が鮮やかだとうれしいが、彼ら(木々)は別に私を喜ばせるために赤いわけではない、 というところがすきだ。

出逢って10年以上になる友人と山を歩きながら様々な話をする。私たちは正反対な人間で、きっと真反対な場所に立ちながら、同じものを見ているのだろうと思った。そして、真反対な立ち位置だからこそ、見える側面が違うのだとも。大人になると相手と自分が違うということを面白おかしく感じられるから良いなと思う。私は依然、歳を重ねることが楽しくて仕方がない。

 

旅館の離れで死体が発見される小説を読みながら、空いた時間を過ごしていた。山手にある旅館の離れはひっそりとしていて、しずかで、親切な気配を纏っていた。最近はかなりミステリに熱を上げている。あっと驚くトリックよりも、緻密で美しいロジックの方がすきだ。最後まで考えることを辞めない人間の力強さがすきだ。彼らにいつだって憧れている。帰り道にハリイ・ケメルマンの「九マイルは遠すぎる」を読む。

「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、まして雨の中になるとなおさらだ」という言葉から推論を展開し、真相に辿り着くという構造だ。面白い と感心しながら読んでいた。ミステリには私に、考えることのうつくしさを教えてくれる。格好いいなと惚れ惚れしてしまう。生憎と、私は大抵のトリックが暴けないので。

 

先程ようやく論文の最終タイトルが決定したので、明日からは一段階ギアを上げる必要がある。妙に格好の良いタイトルになってしまったので、名前負けをさせるわけにもいかない!

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幼い頃から船がすきだ。ちいさなものから客船まで、並々ならぬ憧れを抱いている。海が好きだ。泳ぐというよりは今では眺める方がよほどすきで、海の近くを訪れると肌が喜ぶのを感じる。前日の雨が嘘のように明るく晴れた空とどこまでも青い海を眺めながら、私はワインを飲んでいた。味が濃く凝縮されたドライフルーツをつまみながら、随分と遠くまで来たのだなということを ふと思っていた。人の少ないサンデッキは風が強くて寒かった。網膜に焼き付けるようにただ水面を眺める。晴れてくれて本当に良かった。

最近は論文を書いたり資料と睨めっこをしたりしているうちに、あっという間に時間が過ぎてゆく。その合間で(合間では済まず、没頭してしまい一日が終わることもままある)本を読み進めており、この秋はSF強化月間と銘打っている。本の中には多くの苦悩があり、訴えがあった。読みながら、適切な距離を保ちながら接することができつつあるな ということをふと思う。なかなか俯瞰して見ることが出来なかったものに対して、漸く新しい目を備えることができるようになってきていた。そのことをしみじみと良かったと思う。自分から切り離して物事を捉えることができるというのは心強いことだ。低く安定した精神は頼もしい。

何だってできる。できずとも、どうにでもなる。そういう心持ちで11月のことも迎え入れる。まずは引き続き、打倒修論だ。

川沿いと金木犀

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身体がどこか鈍く重い感じがしており、散歩がしたいと思ったので散歩をすることにした。本当なら、今日は夜の予定までに研究を進める予定だったのだけれども。いつかの誕生日に友人が贈ってくれたワンピース(袖口と首元が可愛らしい)を纏い、ランニング用の軽いスニーカーを履き、スマホとリップクリームだけが入ったサコッシュを提げる。今日は急に暖かくなっていて、寧ろ暑いくらいだった。

川沿いを歩きながら日差しを浴びる。小学生の声、工場の機械の音、どこかのベランダで布団を叩く音。平日の昼間の街は音がよく響く。川はいかにも街中の川らしく、けっして綺麗ではないのだが、それでもなんとなくそこを歩くのが好きだった。川沿いには大抵雑多な植物が乱雑に生えていて、眺めながら歩いてゆく。金木犀が咲いていることに気づけたのは、上を見ていたからだと思う。マスクのせいか、見るまでにおいはしなかった。秋の薄い色の空と、金木犀のこっくりとしたオレンジ色、葉の深い緑がすきだ。他の花をいちいち見ながら、それぞれ違う葉の色を眺めながら、こういうことを心底気に入ることのできる人間でよかったなと思った。散歩のしがいがある。木漏れ日がゆっくりと橋を照らす様をしばらく見つめていた。

 

帰ると適度な充実感と些細な疲労感があった。トマトジュースを飲んでからベッドに寝そべって一息ついた。少ししたら作業を再開しなければ。そう思いながらも少しだけ今、眠気が現れ始めている。

灯り

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素晴らしいカフェのことをふと思い出していた。寒い日の薄暗い店内には囁くような音楽が流れていて、深い赤の中で揺らめくちいさな灯りのひとつひとつが、まるで魂のようだった。

先日、髪を切った。あと7cmは伸ばすのだという意気込みは呆気なく散り、再びショートボブへと出戻ることとなった。切り立ての前髪のことは相変わらずそんなに愛してやれないけれど、軽くなった頭は一瞬の心許なさと軽やかさをくれる。はやく髪色を変えるつもりでいたのだけれど、急遽支社を訪れなくてはならなくなり、あえなく断念した。明るい色の頭になるのはもうすこし先になりそう。

 

明日は久々に雨ではない金曜日らしく、清々しい気持ちでいる。

金曜日の雨

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木曜日から急に冬の気配が迫ってきた。夜、眠るときに冬用の布団をかぶりながら扇風機を回す必要もなくなってしまった。台風が接近しているらしく、今日からしばらくは雨が続くのだと気象予報士は繰り返す。

朝からとめどなく雨が降りしきり、街を覆う空気ごと冷えきっていた。それにしてもどうして金曜日ばかり雨が降るのだろう。ここ暫く、雨といえばきまって金曜日なのだと辿った記憶が教えてくれる。黒いレインブーツで気にすることなく水溜まりを踏みながら、寒いのか暑いのかよくわからない気持ちでいた。

湿気で髪がうねったり、空腹を抱えたりしながら、そのまま家へ帰ればいいものの何となく気が済まず書店へ寄って文庫本を買った。持ち歩いていた文庫本を読み終えてしまったので補填も兼ねて。空腹を抱えすぎていたせいで、うっかり食べもの系の短編集を手に取っていた。これでは余計に苦しむだけなのに、私には自分のことが結構だいぶとわからない。お陰で夕食へのモチベーション(おいしく食べるぞという気持ち)が上がったことだけは確かだった。

 

手頃なノートが欲しかったので、ノートも手に入れた。とにかく軽くて、なにより手触りが抜群によい。はっきりとした黄色も素敵だ。私には黄色い小物に惹かれる習性がある。暮らしの中で覚えたり調べたりした言葉を書き留めるのに使うつもりだ。