鯨を飲む

くうねるところ のむところ

雨とページを捲る音

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せめて今週くらいは可能な限りゆっくりしようと決めての一週間だった。可能な限り休んで、可能な限り頭と身体を使わない。だから平日の真昼間からラーメンと餃子を食べたり映画を観たり、京都まで足を伸ばして器まで氷でできたかき氷を食べたり、それだけじゃ足りなくて先斗町湯葉屋さんへ行ったり、ベタな流れで清水寺へ行けばおみくじがどうしようもなかったり(凶を引き当ててから厄除けをしたら次は恋みくじが大吉って何よ)、初めてゲームセンターでメダルゲームをしたり、夜にまた映画を観たり。そういう無茶苦茶な一週間だった。

 

このところ、どうにか自分を力づけようと必死だったのだと思う。気になっていた漫画をまとめ買いして、聴いたことのない音楽に手を出して、映画を観て。そのどれもが素晴らしくて、だけどそのたびに「だからなんだと言うんだ」と淋しくもなって。そういうことを繰り返している自分が、何かとてつもなく頓珍漢なことをしているようで情けなくて。

それでも甲斐あって、何とか冷静になりすぎることなく過ごせたように思う。とにかく自分が冷静になってしまわないように努めた一週間だった。

今日は夜から雨が降っていて、どんどん雨足が強くなっていたから、普段は折り畳んである背もたれ付きの椅子を窓側に置いて読書をすることにした。昔から雨の音を聴くのがすきで、雨の夜もすきだ。雨の音を聴いていると、頭の中がしんとクリアになっていく気がする。だからひっそりとした夜の読書に向いている。私の部屋の窓はとても大きくて、一際よく音が部屋に入ってくるのだ。足元にプラネタリウムを、お腹にはもちもちのクッションを置いて過ごした。

先日、映画が始まる一時間ほど前に時間を潰した本屋で買った本。本屋では友人と別行動をした。彼女は雑誌のコーナーへ、私はやっぱり小説のコーナーにいた。ぐるぐるぐるぐると、何度も棚を行き来して、そういう風にひとつずつ背表紙を見て回るのが昔からの癖になってしまっている。たまに気まぐれで指を伸ばしては軽くそっと触れたりして。そうしている時間が私を一番穏やかにしてくれていることを思い出した。無茶苦茶な一週間の中で、もっともしんとした時間だった。その時間をいとおしいと思って、思ったことに安心して、ここで一冊買おうと思った。選んだのはそれこそ数年前から気になっていて、だけど今の今まで縁がなかったタイトル。

レジへ持っていくと、研修生の店員がフェアで栞をプレゼントしていることを教えてくれた。きっとそんなに真剣に悩むようなことじゃないのかもしれないけれど、うんと真剣に悩んでしまった。店員さんには少し申し訳ないことをしてしまった。だけどこんな些細なことが少し嬉しかった。

その本はもしかすると今の私に必要なものだったのかもしれない。読み進めながらそんなことを思うのだから、きっと相応しいタイミングで出逢ったということなのだろう。

 

半分くらいのところで今日は本を閉じる。雨の音を聴きながら、プラネタリウムでもつけて眠るつもりだ。冷静になるのはもう少し先でいい。