鯨を飲む

くうねるところ のむところ

魂について

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柴村仁の『プシュケの涙』が離れないでいる。

やわい部分の中枢に深く鋭く突き刺さったまま取れてくれない、容赦のない作品。それなのに散々私を打ちのめした後、残してゆくのは絶望だけではない。本当にどこまでも酷い作品だと思う。

この作品、ひいては由良彼方という人間についての感情の置き場所にずっと頭を悩ませている。本当はこういうものこそ大っぴらにするべきではなく、ひっそりと胸のうちに秘めておくべきなのかもしれない。それでも彼の輪郭が日に日に濃くなってゆく。作中でも触れられているがこれこそが彼の危うさだと思った。うかうかしていると呑まれそうになる。何かを壊され兼ねない。

私にもっと表現の術があればよかった。この胸のうちを消化あるいは昇華する術があればよかった。けれど私は絵を描けないし、音楽も作れない。楽器はからっきしだし歌だって駄目だ。結局私には言葉を組み立てることしかできない。それくらいしか残されていないことがすこしだけ恨めしいけれど、だから私はこの作品に向けて、拙いながらも言葉を残そうと思う。私にできるのはせいぜいこのくらいで だけどこれならできるから。言葉には言葉を、だ。

 

『プシュケの涙』『ハイドラの告白』『セイジャの式日』そして『ノクチルカ笑う』。この4作から構成される通称 由良シリーズ。1作目の『プシュケの涙』は夏休み、ひとりの女子生徒が飛び降りて死ぬところから始まる。自殺として疑われることなく静かに葬られようとしているさなか、ふたりの目撃者に真相を問い詰める青年 由良彼方。亡くなった女子生徒と同じ美術部の彼は、 描きかけの絵を残したまま彼女が死ぬはずがないと言う。

構成として前半で彼女が死んでしまってからその死の真相に辿り着くまでを、後半では由良彼方と彼女の出逢いを描いている。はじめて読んだときも、2回目を電車の中で読んだときも、今も、なんて残酷な仕打ちをする作者なのだろうという思いは変わらない。私たちがラストの数行を読んだ頃、彼女はすでにもういない。僅かな骨だけを残し、煙となり天へと消えていってしまった。どう足掻いても変えようのない現実。何をしても彼女は戻らない。私たちがどれだけ悲しもうが、苦しもうが、嘆こうが、全部意味がない。そのことは彼だって同じだ。すこし前の私であれば、この本を読むことは自傷にもなり得ただろう。

それでも私は後味の悪さに胸が痛いわけではない。そこに対して泣いているわけではない。ただ、これからを生きる由良彼方を想って泣かずにはいられない。同情しているのかもしれないし、同調しているのかもしれない。

たった1日ですべてが変わってしまった彼。自分ではどうすることもできないほどのつよい力で大切なものを奪われ、壊され、失った彼。二度と塞がらないかもしれない、生きている限り痛み続けるかもしれないほどの大穴を開けられてしまった彼。魂や、手足を無理矢理もがれてしまった彼。その穴を、傷を、痛みを癒せるのはこの世でたったひとり自分だけなのだということ。彼を救えるのは結局のところ彼でしかなく、ひとは皆孤独だということ。望んでもいない穴をどうにか受け入れて、傷つきながら痛みと共に生きていかなければならないということ。こんな酷いことってありますか。なぜ私たちはこんなにも酷い思いをしながらも生きていかなければならないというのですか。なぜそれが由良彼方と彼女でなくてはならなかったのですか。そこに理由などないのだとしたら、ありゆる傷に意味などないのだとしたら、生きるって本当に酷い行為だ。

 

彼の姿を見るたびあまりにも苦しくて悲しくて視界が滲む。自分のことは結局自分しか救ってやれないことを知っているからこそ。そのあまりの無責任さと理不尽さに私は呻いてしまう。

それでも尚、この作品は絶望だけを残してはゆかない。泣いた私に残るのは、だからこそそれでも明日を生きていかなければならないのよねという一心だ。世界の酷さをどこまでもやさしく描いたこの作品は、自分で立つという意志を私に与える。

彼女を失った由良彼方を想う。無邪気に笑った日々のふたりを想う。これから絵を描きそこにサインをするたび、痛みを伴う彼を想う。彼女の髪を梳いた由良彼方を想う。創作物の登場人物に自己を見出すほど、傲慢で不躾な行為もそうないな。フィクションでもノンフィクションでも痛みはそのひとだけのものだ。それでもどうにも、私はそうせざるを得なくなってしまった。それほどまでに私にとって彼と、彼女を取り巻くものごとは輪郭がしっかりとしすぎている。

彼は傷を抱えたままどう生きていくのだろう。どうすれば生きていけるのだろう。その道は途方もなくはないだろうか。ぞっとして、立ち竦むことはないだろうか。すべてを呪いはしないのだろうか。祈るような気持ちでページを捲っている。縋るような気持ちで表紙を撫でている。枕元に本を置いて、願うように眠っている。

私は由良彼方のことをとてもうつくしいと思う。続編にも引き続き彼は出てくるし、そのたび魂に彼女の影を落としながら、それでも生きていくのだという。 彼はその先で希望を見出したのだろうか。もし、彼が果てにあたたかいものを 見つけられたのなら嬉しい。傷ついた先に見つけた希望は 世界にとっての希望にもなると思うから。傷ついた人間が、それでも必死に見つけた幸福は きっと世界で一番価値がある。ボロボロになって足掻いた人間には、それを見つける唯一の権利がある。

 

残りの3冊は8月中にすべて揃うけれど、届くのにはまだ日にちがかかる。本当は今すぐにだって読みたい。彼がどう生きていくのかを見て、はやく安堵するなり何なりとしたい。本音を言えば楽になりたい。だけどもう少し私は彼のことを考えなければならないらしい。その必要があるらしい。きっと彼が見つけたものが、私に必要なものでもあると思うから。