鯨を飲む

くうねるところ のむところ

枯れないもの

「絵を一枚仕上げるたびに、絵にサインを入れるたびに、もうやめよう、これで最後にしようって、考える」

「じゃあ、なんで、やめない?」

「描いてても辛いけど、描かないともっと辛いから」(『セイジャの式日』p.59)

 

 

柴村仁の由良シリーズについて。

これはただ、悲しいだけの後味の悪い物語ではない。そこで終わりはしない。悲劇を、悲劇だけでは終わらせない。そのことを『プシュケの涙』『ハイドラの告白』『セイジャの式日』を読んで確信する。これは決して消えない傷を負ったひとりの人間が生々しく足掻き、這いずり、苦しみながら、それでも自分なりの儀式を経て、どうにか心から笑えるようになるまでの物語だ。ついた傷は消せないし、過去をなかったことにもできない。受け入れるしかないのだと思う。傷も痛みも、苦しみも。抱えて、背負ってゆかねばならない。それがどれだけ不当で理不尽なものだとしても、生きていくのなら。そうまで傷ついて尚も生きる意味がわからないかもしれない。自分の魂や肉体に対して嘆くことがあるかもしれない。後悔や憤り、憎しみでいっそすべてを呪うかもしれない。だけどそもそも多分生きることに意味なんてないし、さして必要じゃない。多分重要でもない。何をしても逃げられないのなら、逃げきれないなら、それはもう立ち向かってゆくしかない。受け入れ、飲み下すことでようやく前へ進めることだってある。どれだけ反発しても抗っても、結局はそうする他ないのだ。きっとそのための力の ある程度は時間がどうにかしてくれる。そうしたらいつかあるとき、もういいやと思える日がくる。それは諦めでも別離でもなく、旅立ちなのだと思う。ようやくそうして解放されてゆくのかもしれない。私たちは。

 

彼、由良彼方は誰より奔放で、気侭で、自由であるように見えてちっとも自由ではなかった。死んでしまった彼女が遺した青い絵に、ずっと囚われている。彼は青い絵ばかり描くようになった。そしてそこに彼女とまったく同じサインを記す。酷い自傷行為だ。なのに彼は描くことをやめない。やめられない。

手足をもがれ、魂を縛り付けられ、過去に囚われ、雁字搦めのままうまく息ができず、どこへもゆけない。あらゆるものに恵まれたように見えながら、彼の本当の願いだけがどこにも見当たらない。その息苦しさを思うだけで胸が詰まる。身体が千切れそうだった。一度空いた穴は、痛みを誤魔化すことはできても完全に塞がることは無い。そのことを私は知っている。

 

『セイジャの式日』を読んでいるさなかの私は本当にひどい顔をしていたと思う。何度も読むのをやめてしまおうかと思った。痛みや傷の輪郭があまりにもくっきりと鮮やかすぎて、読まない方がいいかもと少しだけ怖気付いた。だけど結局、それでもやっぱり、やめられなくて 読み進めていく。部屋の中の酸素が薄かった。未だ下がらないままの熱が上がってきたのかもしれなかった。

そうして最後の数ページを読んで、最後のページを見たとき。ようやく呼吸ができた気がした。

ずっと見たかったのだ、彼の笑顔を。例え傷は消えなくとも、痛みは癒えなくとも、生きることはつらくて、世界は優しくないのだとしても。だからこそそこで笑えるようになった彼がただ、見たかった。その一心で日々を過ごしていた。長い時間をかけて、根気よく彼は立ち向かっていった。ときに悪夢に魘され、ときに何度も嘔吐し、身体を壊し、痛めつけ、弱り、魂をすり減らし、傷を深め、それでも彼は生きて 生きて。まだ果てではない場所でようやく あたたかなものを見つける。そのあたたかさはささやかなものかもしれないし、完全に彼の傷を消してはくれないし、痛みを完璧に癒してはくれないけれど、それでも彼は辿り着いた。切実で必死な希望だと思った。ひどく安心して、嬉しくて、悲しくて、だけど傷だらけで足掻いた人間が見つけた希望は何よりも眩しくて、尊い

結局、自分を救えるのは自分だけ。これは本当に 本当にそう。どれだけ求めていた言葉を与えられても、そこから得られるのはあと一歩、踏ん張ろうとする気力だけ。あるいは素直に泣ける場所。それらはもちろん大切で、ひとはひとりじゃ生きていけないから、それこそが尊く有難いものでもあるけれど。それでもやっぱり自分のことは自分が救ってやりたい。自分の人生のコントロール権は自分が握っていたい。ひとはひとりでは生きていけないからこそ、せめてと思っている。少なくとも私はそう。意地っ張りなだけかもしれないけれど。

 

由良彼方を想う。

傷ついて、もがいて、足掻いて、足掻いて。それでもちゃんと自分のことを自分で救ってやれたひと。ちゃんと笑えたひと。彼女と過ごした日々を、彼女の魂を、例えそれらが自分を痛めつけるだけのものだとしても、重荷だとしても、自分の一部として受け入れ、背負うことを選べたひと。彼は本当によく頑張った。

彼は枯れないものをちゃんと見つけられた。

ちゃんと辿り着いた。

私が望んだ以上のアンサーだ。とても安心した。大丈夫。どれだけ傷だらけになっても ひとは 生きてゆけます。あたたかなものの中を 生きてゆけます。そういうことを再確認した心地だ。

 

しかしまぁ、後にも先にも多分ここまでつらく泣いてしまう作品はそうないだろうな。良くも悪くも。しかも活字で。色々なひとに、ものに、タイミングに感謝をしている。私に「あなたの影響で本を読み始めました」と言ってくださる奇特な方がちらほらいる。だけど私こそ、最近になって読書の幅がまた一段と広がってきている。改めて言葉って面白いな〜いいな〜と思うことが増えた。色々なひとやものに影響を受けて、巡り巡ってこの作品にも出逢えた。読むのはとても辛かった。覚えがある痛みに触れたからかもしれないし、由良彼方と彼女が本当にすきだったからかもしれない。だけどそれでも、夜中に起きてふっと涙することもあったけれど、嗚咽を噛み締めもしたけれど、読んでよかった。よかったです。

 

今は『ノクチルカ笑う』を読んでいる。出番は本当に少ないらしいけれど、彼のその後を見ることができるみたいなので。

本当はもう少し彼の姿を見ていたいけれど。彼と、あの絵を取り巻く世界を見ていたいけれど。

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だけどこれは本で、ページを開けばいつでもすぐに逢えるので。そこが本のいいところなので。だからさみしくないよ。

それに本だって枯れないしね。