鯨を飲む

くうねるところ のむところ

手探り

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手探り状態ながらも何とかやろうとしている。最近の私は、ここ半月くらい手元から言葉がばらばらと崩れていくような そんな心地がしないわけではないけれど。それでもおよそ1ヶ月ぶりに細かい文字が羅列された資料を読み、ひたすらキーボードを叩くということをすると、できないということはなかった。寧ろ正しくこなせているようだったから安心もした。

私の歩みは決して速くはないし、見るひとによってはただただ遠回りばかりをしているようなものでもあるけれど。速ければいいということでもないのだから、確実に、懸命に進んでゆくしかないのだと思う。

むかし、さらに遠回りすることを話したとき、「いいじゃん、未来明るい!」と言ってあっけらかんと笑った友人がいる。彼女とはもうかなり旧い付き合いになっていて、私の成長も停滞をも近くで見守ってくれた人間のうちのひとりだ。面食らう私に彼女が言うには「あなたの周りにはあなたより少しだけはやく色々な経験をする人間で溢れていくわけだから、あなたの得る情報量は私たちの場合よりずっと多い。」ということらしい。「失敗談も成功談もアドバイスもひとより多く手に入る。選択肢がぐんと広まるじゃん」と彼女は言った。あの日呑んだモヒートのひんやりした味をを思い出す。

私の歩みは決して速くもないけれど、その歩み故に得るものはたくさんあるのだということ。

この人生ゆえの苦しみや悲しみは、この人生ゆえの幸福で癒してやるしかないのだという風に最近思ったりもしている。

 

自分自身が萎びてゆくような心地がして、すこし凹んだ1日だったけれど、大丈夫。大丈夫だと信じてゆける。

街を吹く風からどんどん暑さが奪われてゆくのを感じている。午前中にバイクを走らせたら、肌馴染みのよい風が吹いていた。最近ようやく長らくうだうだとしていた微熱から解放された。このまま静かで涼やかな流れで秋になっていってくれると嬉しい。