鯨を飲む

くうねるところ のむところ

女の子たち

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春用のワンピースや、籠のように編まれた白いパンプスをろくすっぽ身につけないまま、気づけば葉桜の季節になっている。僅かながらのジョギングのさなかに見かけて、やや切なくなってしまう。 在宅での暮らしが続いている。今日はzoomを使っての会議があった。未だに私は使いこなせている気がまるでしない。同僚たちが皆、文明人に見えてくる。さしずめ私は迷い込んだ原始人。機械に疎いなんていうのは、なんの免罪符にもなりはしないのだとたびたび思う。来月からはzoomを使っての勤務が始まるので、きちんと慣れなくてはならないのだから。

在宅ばかりでどうにも気分が乗り切らない日々が続いている。なんとか機嫌をとるべく、今日は春らしいメイクをした。花のようなコスメたちはどれも愛くるしい。奇しくもほとんどが貰い物で、なんだか笑ってしまう。自分では花が似合う人間だなんていう風には微塵も思えていないのだけれど。

多くのままならないことがあって、誰しもが不安で、目隠しをされたまま歩かされているような心地さえしているのかもしれない。誰もが幸福に、とはさすがに言えないけれど(そんなことは起こり得ない。虚しいけれど)、誰もが皆、安全に暮らせる社会であって欲しい。

 

今日は「そのひとに合いそうなリップを一本選ぶ」という遊びを繰り広げていた。インターネットで知り合った女の子ひとりひとりに、偏見と独断でリップを選んでゆく。誰かのためになにかを選ぶことは、どうしてこうも豊かな香りがするのだろう。私ばかりが楽しいはずだったけれど、彼女たちもニコニコとしてくれたことが嬉しかった。中には「気が滅入っていたから自分を元気づけるために買っちゃおうかな」と言ってくれるような子達もいて、かわいくって抱きしめてしまいたくなった。貴女が元気であれるのなら、それこそがもっとも大事なことだよ と思いながら。

身の回りの女の子たちは、たいてい私よりも歳下で、中には8つも歳が離れているような子だっていて。話すたびについ、祈るような気持ちになってしまうことがある。たまに文化祭とか運動会なんていう単語が飛び出してきては、クラクラすることもあるけれど。彼女たちは新鮮な気配を纏っているから、つい、うっかり、「若いっていいね」と言ってしまいそうなときがある。そのたび、その言葉は飲み込むことにしている。何故なら私だってまだ充分未熟で若いのだし、第一過ぎ去ったものばかりを「素晴らしいもの」みたいに扱ってしまいたくはない。これから大人になってゆく彼女たちに、「大人はつまらないものだ」なんて微塵も思って欲しくない。子どもでも大人でも、私たちはいつだって素晴らしいのだということ。彼女たちと話すたび、いつも背筋がすこし伸びる。歳上の私を見て、すこしでも「大人も悪くなさそうだな」と思ってもらえているのなら良いなと思っている。私はまだ学生の身だからあまり偉そうなことは言えないんだけどね。

 

子供も大人もどっちも楽しい。そっちの方がずっと愉快だと思う。だから大人の私は、デザートにゼリーのお酒なんかも食べてしまうわけなんだな。