鯨を飲む

くうねるところ のむところ

じっとして待つ

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凍えるように寒々しい火曜日。

外に出た瞬間、あまりの空気の冷たさと鋭さに、ひるんでしまった。室内にいても今日は指先や唇や、頬(つまりは全身)から血の気が引いていたので、逃げまどうように自販機に向かった。そこで、本当に寒いときにそうするみたいに 私は蜂蜜とレモンのあたたかな飲料を買う。甘いものの方が、芯からあたたまるような気がして。頬に押し当てたり、手の中に包み込んだりしながらバスに飛び乗り、ようやく呼吸をすることができた。迂闊に息をすると肺や胃まで冷え切ってしまいそうだった。

平日のバスの中はあたたかく、マダムたちが睦まじくお喋りをする声がよく聞こえてくる。揺られながら、私は文庫本に目を落としていた。時おり窓の外へ視線をやると、立派に色づいているイチョウ並木が見えた。独創的な形をしたビルの前に並ぶイチョウ並木は皆、一様に赤々としている。

 

会議を終えた頃にはとっぷりと日が落ちていて、知らない街の知らない道を歩いて駅へ向かった。望まれていた立ち回りを、はたしてできていただろうか。正直なところ、ちっともそんな気はしていない。それでもひとつ、すべきことをクリアしたので 帰りの足取りは軽かった。

 

このところは 身体の方も具合がよいとは言えずにいて、どこかしらが常に痛んでいる。今日は今のところ痛みが出ていないので、これを機に きびきび元気が増えていってくれるとありがたいのだけれど。 

私は、常に憂いているわけでもないし どちらかというと明るい方だと思う(底抜けに明るいというわけではない)。けれど ある程度ナイーヴな性質を持っていて、そのために疲れやすいのだと思う。インターネットはすきだけれど、時おりあまりにも常時、複数人の感情がたれ流されている様に ひるんでしまうし、 疲れてしまう。これはネガティブな感情のみによるものではなくて、おそらくある種の 『酔い』みたいなものだ。 思うに、感情というものに対してそう強くはないのだろう。というか、インターネットが異質なのだと思う。あんなにも感情が裸のままで蠢く場所は他にない。

一度こうなってしまうと暫くは神経が鋭く、過敏になってゆく。そのため私は定期的に インターネットも、テレビも、ニュースも、 何もかもから耳や目を塞いで じっと過ぎ去るのを待つときがある。こういうとき、騒ぎ立てる必要はない。なるべく穏やかなもの(やさしい小説や、歌詞のない音楽、雨の音、熟れた果実、澄んだ甘さを持つ香りなど)で身の回りを覆って、 そうしてようやく過ぎ去ったのを感じて息を吐く。

ああ、おそろしかった! という風に。