鯨を飲む

くうねるところ のむところ

本について

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明日は昼に家を出ればいいので、いつもよりすこし 夜更かしができる。毎週というわけではないのだけれど、金曜日は時たまこういうことがある。と言っても最近はこの時間になるともうすっかり欠伸が出始めてしまう。つまりは私の中にある時計の針が ただしく動いているということ。

なんとなくまだ眠ってしまいたくはなくて、ベッドサイドから詩集を取り出す。前にも触れた、タケイ・リエさんの『ルーネベリと雪』。

頁を捲って、配慮の末 つつましく並べられた言葉たちをなぞるたび、ひりひりとしたやさしさを感じる。曇ったり 霞んだりしている中にひそむ きらめきのような、 古い木棚に並べられた小瓶たちのような、 私にとってのこれはそういった本。だから本棚の 一番隅にそっと立てかけている。中でもひときわ 私が好きな詩がある。

 

(中略)うまれてくるひとよりもしんでゆくひとのほうが多くなってきて、ようやくさしせまったと感じるなんて身がすくむような思いがする。わたしたちはいったいだれから、救われればいいのだろう? いまこのことについてだれかとはなしあいたいのに、だれとはなしあったらいいのだろう。あなたの考えている本当のことがわからない。悩んでいたらみえない動物が近づいてきて、はなしが通じる言語を習えって言うの。それが愛情だろうって言うの。おかしいよね。いまからでもまだ遅くないんだって。本当に、覚えられるのかな。せかいはとても広くてプールみたいになってしまった。大きな水溜まり。あるいは、砂漠のようなもの。だけど、はだし、はだかでも、大丈夫なんだって。本当かな。本当なら、服を着ているのがじゃまになるかもしれないね。あなた、いっしょにぬいでくれる? あなたがいっしょならわたしだってもう、こわくないんだよ。(P.16 『ミーアキャットの子は年上の兄弟からサソリの狩りを学ぶ』より)

わからない。あなたの考えている本当のことがわからない。繰り返されるこのフレーズを読むたび、まち針でいくども刺されているように 胸の隅っこのあたりが痛んで泣いてしまいそうになる。ミーアキャットのあの、きょろきょろとせわしなく動く、首や目を、思い浮かべる。不安げに 何度も 疑い深く あたりを見渡す わたしを想う。

なんてひたむきで不器用で、いとおしいんだろう。必死ないじらしさに 、果てしない祈りに、堪らなくなる。そのままひっそりと抱きかかえてしまいたい。

 

この本は、一篇一篇 大切に 慈しむように読むと決めている。だから多くても一日に二篇までしか読まない。そういう本が身近にあってくれることが私は嬉しいのだ。

 

はてなブログにようやく慣れてきた。新しく機能の使い方を覚えたので、今日は思わず嬉しくって 本について 書いてみた。うーん、便利!これでこれからはよい本についても記していけるぞ。

ルーネベリと雪

ルーネベリと雪