鯨を飲む

くうねるところ のむところ

夏を食べる

 

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冷蔵庫みたいな満員電車に揺られながら、他人の素肌との接触に顔を顰める暮らしを捨て、代わりに気楽なバイク移動へシフトしてはや4ヶ月。その代償に今、私は照りつける太陽の光の 暑さと毎日のように闘っている。あまりにも暑いものだからとうとうすいかを切って食べた。アイスを食べるよりはいいだろう、と苦手なすいかを試してみたところ、味覚が変わったのか、あるいはそれほどまでに暑かったのかはわからないけれど、ぺろりとひと切れ平らげてしまった。これはすいかやメロンといったウリ科の食べもの全般が苦手な私にとって、驚くべきことだった。特別おいしいというわけでもないし、すきという味ではないのだけれど、手っ取り早く身体に水分を送れてクールダウンできるのでいいなと思っている。もう今週で2回食べた。私はまたひとつできることが増えたらしい。できることが増えるのは素敵だ。人生の濃度が高くなってゆくのを感じられるし、武器が増えたようにも感じられる。

 

ふと先日、暑い中バイクを走らせれば教授にランチに連れて行かれた。てっきり講義をするのだとばかり思っていた私は、コンビニで適当に買ったチーズとハムとレタスのサンドイッチ、そしてアロエのヨーグルトにひそやかな別れを告げながらバスに揺られることになった。

辿り着いたのは高架の下にひっそり佇むちいさなビストロ。足のある細長いグラスにミネラルウォーターが注がれるのをぼんやりと見詰めていた。 驚くことにそこは数年前、気になりつつも入店を逃した店だった。最近、こうして昔どこかへ置いてきたままのピースがかちりと嵌るような そういう風なことがよくおこる。きっとそういう時期に私はいるのだと思う。

 

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コースのランチはおいしかった。夏野菜とさわやかなミントの冷製スープ、粗塩をまぶされたフォカッチャはそれだけでもぺろりと食べられてしまうし、薄くスライスしたズッキーニとじゃがいも、きのこの明太子パスタはたいらげても尚、お皿の底にたくさんソースが残るくらい惜しみなく明太子が使われていた。水を切ったモッツァレラチーズとパセリをまぶした牛肉のソテーはやわらかくて、味つけは酸味を飛ばしたトマトソースと何だったのだろう。そんなことがどうでもよくなるくらいにおいしかった。デザートに私はパンナコッタを、彼女はカモミールティーを選んだ。てっきりあの、つるつるでぷるぷるでプリンよりも色の薄い、あのパンナコッタが出てくると思っていたら、なんとふたつに割ったカタラーナが刺さっていて、その上からたっぷりとカラメルソースがかかっていた。カタラーナはひんやりと冷たくて、知覚過敏でもないのに噛むたびすこし震えて笑われた。ふたつもデザートが出てきたみたいでなんだかとてつもなく贅沢をしているみたい。実際、この日の私はただおいしいランチをご馳走になるだけだったのだからあながち間違いではないのだけれど。

行儀よく木目が並ぶテーブルにはそれぞれ色の違う花が飾られていて、私のテーブルにはちいさな黄色の花で、厨房はよく見え、窓側に小ぶりの赤いフライパンがふたつ寄り添っているのが愛くるしくて、カウンター席の上に並べられたワインボトルはすこしくすんでいて、時おり電車が通ってがたんと揺れるのを感じながら色が少しずつ違うそれらのラベルを眺めたりして、奥まったところにあるソファ席で食後の珈琲の香りを楽しむ老人と目が合ってお互い ややぁとしたりして。木の茶色とカーテンの赤が素朴ながらも品がよくて、素敵なお店だった。今度はお酒が飲めたらもっと素敵。

家に着いたらリュックに詰めたままのサンドイッチのチーズが溶けだしていて慌てて野菜室に放り込んだ。夏はこういうことが平気でおこるからおっかない。

 

7月が終わる。明日からは8月が始まる。

相変わらず時々私の身体は私の言うことを聞かなくなるし、そうなると私は深手を負ったけものがそうするようにあらゆるものごとからひっそり姿を消そうとしてしまうけれど。あまりに忙しなく、どうしようもなく挫けた7月の終わりは、こんなにもゆるやかに過ぎていく。8月が終わることを考えると、足がすくみそうになる。だからまだ考えないでおく。

今はただヘルメットを外したときの開放感だったり、夏の妙に白んだ街並みだったり、お守りのように振るうすっきりした香水のにおいだったり、畳に寝転びながらうたた寝をしていると射し込んでくる西陽だったり、入道雲の白と空の青さと「とまれ」の看板の赤のみっつが同時に視界に入ってきたときの胸の高まりだったり、録画した番組を見ながら食べようてコンビニで買ったマンゴーのアイスを、OPの時点ですでに食べ終えてしまったり。そういうことをまだ大切にできているのなら、大切にしたいと思えているのなら大丈夫。何より財布を開けて、節約しなきゃななんて考えているうちは大丈夫だと決まっている。

私はこの夏をやっていける。うまくなくたって、きっとやっていける。