鯨を飲む

くうねるところ のむところ

ミモザ、チーズ、そしてやさしさ

f:id:kurolabeloishii:20200323163324j:image

日曜日。三連休の最終日だというのに、街や駅は平日のように空いていた。自粛によるものなのかどうか一概には言えないが、経済的な打撃の跡をまざまざと突きつけられる。この日は友人とお茶をし、映画を観、それから食事をした。彼女と私の誕生日祝いを兼ねてケーキを食べようということになって、私たちはチーズケーキのお店を訪れる。ケーキと言って真っ先に思いついた店だからで、もう4年も昔に彼女が「おいしいチーズケーキのお店があるんだ」と話してくれたことがある。一緒に行こうねと約束をして、すっかりそのまま置き去りにしていた。

彼女の言う通りチーズケーキと紅茶はとてもおいしくて、私好みのナイフを入れるときにどっしり重くくっついてきて、口に入れるともはやチーズ、みたいなヘビー級チーズケーキだった。チーズケーキは重くてなんぼだと思い込んでいる節が、私たちにはある。彼女とは中学生からの付き合いで、だから会話がスムーズに進むし、なにより彼女は気持ちの良いひとだから話すことが楽しい。同じ時間を同じ場所で過ごしたというのは、きっと愉快なことだ。おかげで私たちは彼女が倫理のテストで「ヒノアラシのジレンマ」という珍回答(正解は「ヤマアラシのジレンマ)を叩き出した話で、今でもお腹を抱えて笑い転がることができる。

今まであまり機会がなかったことについて改めて伝える瞬間というのが、ふとやってきて、だから伝えることにした。あなたたちが休み時間になるたび私の席に飛んできて、馬鹿みたいに笑ってくれることに、あの頃の私は本当に救われていたのだということを。どうしようもない甘えん坊たちが、あの頃傍にいてくれてよかったのだと。それを聞いた彼女はやけにニコニコとしていた。よかったぁと言う顔は酷くやさしい。

 

私は言葉によってわけもなく打ちのめされることがあって、それはたいてい家庭の中での出来事だった。今日もそんな感じ。久々にすこし、憤ってしまった。それ以上にかなしくもあったのだけれど。こういうことがあるたびに、私ばかりが繊細すぎるのだろうかと 思ったりもする。言葉にあまり重きをおかない人たちに囲まれながら、言葉を大切にしたいと思うからこそ傷つくのなら、些細な言葉によってめちゃめちゃになってしまうのなら、いっそ言葉なんてくしゃくしゃに丸めて捨ててしまおうかなんて馬鹿なことを思ったこともある。心ない言葉にしびれを切らして、敢えて言葉を重ねれば、可愛げがない、意地が悪いと言われることが、多分私はずっとくやしかった。無自覚にひとを踏み荒らす方がよほど、よほどタチが悪いし意地が悪い。だから 今、私に対して 友人や 妹や 例えばインターネットのひとたちが「言葉が丁寧なひと」だとか言ってくれることが どれだけうれしい励ましであるのか。どれだけそのことに勇気づけられているのか。すくわれているのか。今日は そういうことを ふと、噛み締めるような日だ。やさしくありたい。例えば友人が、「私は馬鹿だし言葉とか全然しらないから」と言いながら、そのくせ私を踏み荒らすようなことをけっして言わないみたいに。そうありたい。絶対に誰も傷つけない言葉なんて存在しないとは思うけれど。

なんだかかなり、中学生か高校生みたいなことを書いてしまった。成人済み人間のブログってこんなだっけ?でも大人とか子供とかそんなの全然、しょうもないしどうってことない。それはそれとして凄く恥ずかしく、すこし情けないので、今度は映画『羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ)』の話がしたい。 見て欲しい。