鯨を飲む

くうねるところ のむところ

そういう時期

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朝から生徒たちの調査報告を聞いては、指摘や助言をするというのを繰り返すうちに午前は終わった。大変なのは生徒たちの方なのだけれど、私も私でよくやった方だと思う。講義後、何人かの生徒たちが私のアドバイスを求めてきた。たったのそんなことでさえも、私を奮い立たせるための材料になる。

 

数年前、10代なかばからの無理が祟り、ぱたりと意識を失ったきり起き上がれなくなってしまった。まるでジョン・ヘンリーだ。「あんまり頑張ったので、心臓が壊れちまった。ジョン・ヘンリーはハンマーをおろし、そして死んでしまった。」

あの日を境にそれまで私を奮い立たせていたものを、ごっそりと失ったのだと思う。以来、私は身軽になった。けれどそれは、言い換えれば原動力を失ったことにも等しかった。武器を失った感覚にも似ている。かつて私を手負いの獣そのものだと言ったひとがいた。今じゃあ、すっかり牙は失せた。今の私は、自分自身を受け入れているのか、それとも諦めているのか、本当のところはどちらなのだろう。このところ、もうずっとそんなことを考えている。

こんなのちっともかっこよくないし ただの愚痴なので、この記事を書いている途中、2回ほどデータを消した。だけどそれこそ第三者を意識しているみたいで、それはブログの趣旨とは反するから。結局随分酷い文章を書き上げた。できればあまり読み返したくはない。私は微塵もかっこよくなんかないし、何も持たないただの人間だけれど。私の姿や、言葉たちを煌めいていると、うつくしいと言ってくれるひとがいるから。私は私の言葉に恥じない自分でいたいと思っている。ほかの誰でもない、私が私を信じてやらないで誰が信じてやれるというんだ。私は 自由で どこへでも行けて、 何にだってなれるんだってこと。もう何かを諦めなくてもいいということ。

 

未だにうかうかしてると、暗いものに呑まれそうになる。この身体になって随分経つのにだ。だけど だけど大丈夫。ちゃんと自分で自分と折り合いをつけてゆける。腐らないで、折れないで、ゆける。たとえば今日みたいに 頑張った日にだけ使うと決めているお店で、クリームソースのオムライスを食べたりしながら。ちゃんと 自分を扱ってやれる。今はまず、それでいい。そうしているうちに、ちゃんと自分は整っていくはずだから。