鯨を飲む

くうねるところ のむところ

星など見えなくていい夜

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もう1箱、チョコレートを買った。数年前にインターネットで見かけた、うつくしいチョコレート。当時の私はまだチョコレートを苦手としていたわけだけれど、それでも良いものは良いし、素敵なものは素敵に違いなかった。念願叶って私の手の中にあるそれを眺めては、うっとりしている。宝石箱だ。もうしばらくは食べたりせずに、時おり眺めては力を分けてもらおうと思う。どういうタイミングが食べ時なのか、見計らうのが難しい。

エアコンが新しくなり、すっかり夜でもあたたかい部屋で調べものをしながら、思考が燻り始めたのを察した。暮らしとは、みたいなことをつい考えてしまっている。そのたびに大打撃を受けるわけでもなく、メソメソと深刻に落ち込むというわけではないにしろ、よいとは言い難いような心地になる。暮らしとは……。なぜ、ひとは労働を……。

よくない兆候を察したのでしばらくの間、すきな音楽で耳を覆い、やわらかな布団をかぶって、傍らにすきな本を置いて過ごすことにする。鬼束ちひろの『流星群』。今日の出勤前にもそうだったように、同じ箇所ですこし泣いてしまった。かなしいわけでも、さみしいわけでもないのに不思議。音楽のこういうところが本当に不思議で、不可解だ。ただ涙が溢れるということが、ままある。気持ちはひたすらに静かなのに。

 

泣く場所があるのなら 

星など見えなくていい 

呼ぶ声はいつだって悲しみに変わるだけ

こんなにも醜いあたしを こんなにも証明するだけ

(鬼束ちひろ『流星群』より引用)

 

静かだからこそ、なのかもしれない。

以前ほどつよい不安は抱いていない。結局、なるようにしかならないわけだし、どうにもならないことは何をしたってどうにもならないのだし、だったら流れに身を任せる方がいい。少なくともわたしにとってはきっと。なかなかそれが難しいのだけれど、それでも私はできないことばかりだけれど、昔よりも戦略的撤退がスムーズにできるようになってきているし、日々も穏やかで、随分と平坦だ。チョコレートも食べられるし、ブラックの珈琲がすきだし、アサリも食べられるようになっている。できることも随分と増えた。

 

私がこの場所で、もう何度も同じようなことを繰り返し書いていることには気づいている。それでも書かずにはいられない。言い聞かせているみたいな、不格好な言葉でも。ダサくてもね。このブログは、ここに書かれていることを読み返す必要が無くなった頃の私のためのものなので。