鯨を飲む

くうねるところ のむところ

夏を弔う支度

f:id:kurolabeloishii:20190909080857j:image
f:id:kurolabeloishii:20190909080900j:image

海を見に行った。

シーズンからやや逸れたおかげか、台風の影響かビーチに見える人影も淋しいくらいのものだった。ちいさな島にある山の上にどんと聳えるホテルに向かって、海岸沿いの道路をうねうねと走らせてゆく。右手に見える太平洋のびやかさと、硝子片のようにざくざくとした煌めきを放つ海面を眺めているのはちっとも飽きがこない。台風の影響で船は出ておらず寄り添うように繋がれていて、にも関わらず空はすっきり晴れていて波も穏やかなものだから、どことなく不思議な景色。ひっそりと控えめな海だった。

この街と、だだっ広い太平洋の水平線を見つめていく。ここは昔、私が 親のように慕い、私を子のように愛し寄り添ってくれたひとと過ごした場所でもある。何度も訪れたこの街は、例えば朝2時に起きて3時に海へ発ち、釣りへ向かったりだとか。ハリセンボンがいるせいで他の魚たちが寄り付かず、どうにか糸を切られまいとハリセンボンを釣り上げたことだとか。それからは笑うくらいぽんぽんと魚が釣れたことだとか。お揃いの浴衣を着て手を繋いで海を眺めたことだとか。断崖絶壁に向かって打ち付ける波の飛沫を、時たま頬に感じながら浸かるあつい温泉のことだとか。そういう人肌くらいの温もりのやさしさで包み込んでくれる。

f:id:kurolabeloishii:20190909081622j:image
f:id:kurolabeloishii:20190909081625j:image

ホテルに着き、通されたのは驚くくらいおおきな窓が三面もある角部屋だった。見渡す限りの太平洋。鷹だか鷲だかが群れを成し、飛び回っている。このたったの一日で私が気に入ったのは、和室に面した大窓の前に腰掛け、持ってきた本を読むことと、そこで海を見ながらひとりちびちびと晩酌をすること。私の本をえらく気に入った祖母にその本をあげることにした。森下典子のエッセイ。祖母と筆者は同年代だった。楽しんでくれたら嬉しい。

それにしてもおいしいものもたくさん食べた。臓器のひとつになってしまうんじゃあないかってくらい本鮪のトロを食べた。上唇に触れただけで繊維が解けてゆく。スキヤキの牛肉も柔らかくて甘い。たゆたゆとしたお麩にじゅわっとタレがしゅんでいたのがよかった。思い出しただけでお腹の辺りが熱くなる。

この旅が終わると、私はいよいよ現実へ戻っていかなくてはならない。相変わらず微熱はつづいたままだけれど、何とかやっていこう。多分どうにかはなるはずだし、流れに身を任せていこうと思う。先ばかり見ていても仕方がないしね。身体の力を抜けば沈まずに浮けるはず。

 

今年も海の見える場所で夏を弔う支度を済ませてきた。今週からはまたバタバタと生活が回っていくだろうから、きっとあっという間に秋がくる。もっとも、再びぎょっとするほどの暑さが猛威を奮っているので当分はまだまだ夏なのだろうけれど。